12月3日の奇縁を大切に生きる。

12月3日は普通に、普段通りに終わった。
メッセージを寄せていただいた皆様には、心から感謝である。
よく覚えていてもらえているなあと、しみじみ思う。
一方、親友が亡くなったからと、悲しんでおられる方も
おられて、生まれるものあれば、人生を終わっていく人
もいて、まあ、1日とはそんなもんだとも思う。
人にとって、おめでたくもあり、悲しくもある。

いずれにせよ、12月3日が好きなのは、自分の誕生日という
だけでなく、フランシスコ・ザビエルが帰天された日で
あるということ。
時代は違えど、何か勝手なご縁を感じ、繋がりを感じ続けて
いる。

ザビエルがいなかったら、日本には西洋音楽も、印刷技術も
もたらされることはなかった。自分が辿ってきた道には、
ザビエルが残した爪あとがしっかり残されている。
ザビエルなければ、私のこの人生もなかった。
これは確信できること。
だから、12月3日の奇縁と呼ばせていただこう。

毎日が誰かの記念日。
どう関係づけるのか、繋がりを信じるのかは、人それぞれ
であるが、今はザビエル亡き後のことに思いを
馳せてみたい。
マカオの教会で以前見た、ザビエルの遺骨。
きらきら光っていたなあ。まるで今も生きているような
不思議な世界を見た。
人生は終わるけれども、受け継ぐ人が信じる人が
時代を越えて、大切に守ってくれることもある。
偉業を成した人の人生に敬意を表して。
この立像も敬意を表しての作品。
16世紀半ば、ザビエルは日本にキリスト教を伝えた。
その訪問地のひとつ、山口での説法の様子はこんな感じだったらしい。
この偉大な方との妄想的つながりを、生涯大切にしたい。

そう、私にとってもう一つの12月3日。
道は違えど、信念をもって前に進む続けること。
その確認ができる大切な記念日。

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