最近はオンラインでの会議も増えてきた。
その議事録もAIに助けてもらう場面もあり、また昨日の会議では
「できないと思っていたことが、chat gptに相談したら、いいアイデア
が出てきて、最近はchat gptと共同開発しているような感じです」
という発言もあり、へえ!と驚き感心。
昨年まで生成AIという言葉自体が、まだ慣れなくて、その言葉は
わかりづらいのでは?と技術の専門家に尋ねたこともあったが、
もともと、英語で generative AI 。このgenerativeが「生成する」
という意味だから、直訳でそういう日本語になったとなれば、まあ、
そんなもんか・・。
とにかくこの生成AIが今や、創造・開発・発信の場面で進出しまくって
いる脅威。先日のアメリカの大統領選挙もそうだったし、
昨日は、応援している声優さんが、ニュースで生成AIの適切な活用を
求めて発言されており、このままじゃ、声優という職業が危なくなる
・・と危機を訴えておられ、とても心が痛んだ。
と、この生成AIとの競争、共存、共生が課題の今日。
一方、ずっとネット社会で仕事をしてきた人の中にも、もう
パソコンに触れたくないという人もいる現実もあるようだ。
これからは手書きで・・・という声も聞くことがある。
ネット社会が大前提になっているけれど、常に俯瞰して
物事をとらえないといけないと、改めて思っている。
上手く使いながら、人として大切にしたいものを優先する。
何でも人が幸せになるための道具でなければならないが、
気を付けないと、よく考える前に使われてしまい、意図してか
意図せずか、人を傷つけることも。そんなことも多い。
やってみよう!の行動にはリテラシーが求められる。
今、最先端と原点回帰の両極を見ながら、
わが仕事は、くらしは、どうしていくのかと考える。
AIには創れないもの、考えられないことが湧いてくる
人間味あふれるクリエイターでありたい。と改めて。
我は人なり。人としてどうすべきか?
どこまでいっても、そこを追求し続けたい。
ネット社会の両極で
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