京都の知人。以前より、能登の方にお母さまの実家があるとお聞きしていた。
そして、この正月の震災・・・。
何名かの人のことが思い出され、その知人のことも、そういえば・・・と
気になり、その後、地元に住んでおられる親戚の様子などお聞きしていた。
半年近く、水道も復旧せず、でもその方の実家は井戸水があったので助かった。
でも、周囲は本当に大変なようで・・。お母さまは何度も何度も京都から地元に帰り
ご兄弟のサポートをされたり、田んぼを手伝ったり・・・・。
「今も、母は能登へ行っています」
と話されていた。兄弟や親せきが暮らす故郷となれば、気になって
何度も足を運ぶ・・・。気になって気になって・・・のこの1年をお過ごし
だったのではないか。
今年は、京都でその知人に会うときには、声をかけ、自分にできるささやかな
お見舞いをした。何もできないけれど、せめての気持ち。こんなことしか・・という
話であるが・・・。がんばる能登の人に、故郷に通うお母さまに気持ちが伝わればと
思った。
「能登の人が大変なのに、国ってなんなんでしょうね。」
その知人は、静かな怒りを発する。本当に、なんでこの時期に、選挙する?
万博する?そんなお金があったら・・・。そんな会話を何度もした今年・・。
そんな彼女から、ひとつの紙袋を渡された。
「これ、母から、能登のお米です。地震で土が変わってしまったので、
美味しいかどうかわかりませんが、私は石川のお米が一番好きなんです」
そう言いながら、被災した田んぼで彼女のお母さまとおじさまたちが、
がんばって作られたお米。
思いがけぬプレゼントに驚く。
「お見舞いいただいたんで、母から・・です。その節はありがとうござい
ました・・。」の言葉に思わず・・・。
もう忘れていたことだった。
被災された皆さんが、心身の汗をかき、一生懸命生きておられることが
伝わってきた。
能登のお米か・・・。
生まれてからまだ食べたことがない。
「わたし、石川のお米が一番好きなんです」
彼女の言葉が、今も脳裏から離れず・・・。
もう11月だ。
地震からまる10か月経過したことになる。
そして、もうすぐ新たな年、お正月がくる。
クリスマスや、おせちや・・・と町はコロナ前のように賑わいつつある
が、能登の人たちのご苦労を忘れてはいけない。
いただいたお米一粒一粒に、皆様の地震や大雨のご苦労を思い、
敬意を表しながらそして、心からのエールをおくりながら、
ありがたく頂戴したいと思う。
もったいなくて、今すぐは食べられないけれど・・・。
改めて、能登の皆さまにとって、いいお正月がくるようにと
心から願うばかり・・・。
能登からのお米。
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