快適な音、客観のサウンド。

東京から引っ越してもうかなりの時間が経つけれど、未だに歯医者は
東京時代に通っていたところにお世話になっている。
おそらく20年近くお世話になっているのでは?
東京にいるときこそ、あまり私的な話もしなかったけれど、
離れて、わざわざ通うようになると、いろんなことを話したりするようになった。
「歌も歌うので、人前でしゃべることもするので、歯は大切ですね」
本当にそうだと思うようになった。

頻繁には通えないが、うまく調整してなんとか乗り切ってきた。
先日、久しぶりに伺う。
待合室にいると、どこかで聴いたメロディー。そしてどこかで聴いた声。
そう、自分の演奏がこの日も流れている。
歯医者さんが意識して、私が来る日は流してくれているのか、普段から
そうしてもらっているのかわからないが、自分が知る限りでは毎回自分の
CDを流してくれている。
しかも、小さな小さなボリューム。
この音の小ささが、快適で、きれいに聴こえることを改めて発見。

音楽とは、ライブや演奏会のように主役として流れるだけでなく
まさにBGMとして、小さな音色で場の空気をよくする存在でもある。
BGMとして流れる音を想定してレコーディングしていなかったけれど
この小ささこそ、いい響きで、心地よく、とくに治療の場では、痛みも
和らぐ。主役でないところがいい。
優しい音楽に変わるのである。

表現する、主張する。これは主観の音楽。
音量が変わることによって、客観の世界を作ることができる。
不思議な変身だ。
同じメロディーがストーンとまっすぐ心に入ってくる。
のではなく、自分の周囲で漂っている感じ。

ボリュームを小さく。
これは新たな味わい方。

歯医者さんで発見した音楽の存在、役割、楽しみ方。
自分の音楽を流して、治療してもらえるなんて、
最高の幸せ。

そんなこともあって、これからもずっと元気に通い続けたい。
今日もいいサウンドで、出会う人に優しさを与えてほしい・・・。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク