大阪ろまん

京都での仕事を終え、大阪へ向かう。
20代の頃は、そんな機会も多かった。
京都と大阪。
町の個性は全く違うが、京都への思いとは違う思いが、
大阪にはある。
大阪は、私にとって外国のようなところ。
始めての大阪は、知り合いの岐阜のおじさんに車に乗せていただき、
おろしてもらって、
「じゃ、帰りここで待っといて」と、仕事を終えて帰るおじさんに
再び乗せてもらうまでの半日、右も左もわからず梅田や心斎橋を
練り歩いた。
アメリカ村というのは、本当にアメリカ人がいる町だと思って
いたその頃が懐かしい。中学生になったばかりの私の初大阪。

それから、数えきれないほどの大阪体験。
仕事での行き来以外にも、楽しみはいろいろある。

大阪弁にはじまる独特なコミュニケーション術。
笑いの宝庫であり、食い倒れの町といわれる美味しい町であり、
そして、人情の町。
もしかしたら、この「人情」が「大阪弁」になって、大阪らしさ
が生まれているのかもしれない。
メディアで見るポリティカルな大阪の世界とは違う、なんともいえない
ぬくもり。

変化し続ける大阪駅やハルカスのような今風の、インバウンドが
喜びそうな一面もいいけれど、
私にとってはもっと泥臭い、甘酸っぱい、昔ながらの大阪の町に
愛着を感じる。

そんな中で、鶴橋は忘れることができない町のひとつだ。
アメリカ村ではなく、こここそが、世界を、歴史を感じる
生きた街。
オムニたちががんばってキムチやキンパを作って、一生懸命に
売っている。毎日毎日よく働いて、仲間(同志)を励まし、ともに
生きている。そのパワーを感じる町。
そんなことを思うと、ついつい買い物をしてしまう。
応援したくなる。
国内にコリアンタウンはいくつかあるけれど、鶴橋は私にとって
初めてのアジア、韓国。

大阪ブギウギという歌があるが、今書きながら、あの曲が頭の中を
流れている。
昭和の大阪が、やっぱ好きやねん。
と思いながら、ほどよい距離で、これからも時々足を運びつつ、
お笑いコミュニケーションも学ばせていただき、やさしさとおかしみ
で人を包み込めるような人になりたい。
そういう意味で、大阪はろまんの町であり、
そして、生きることを教えてくれる「せんせい」のような存在かも
しれない。

大阪ろまん、永遠に。

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