改名とアイデンティティ。

最近、改めて、夫婦別姓の話題がにぎやかになっている。
今回の選挙戦でも、争点のひとつになっているようだ。
まあ、それはそれでいいけれど、今さら何を。とも思っている。
もう半世紀以上、残念ながら長男なしの長女として生まれてから
この問題には否応なく接してきた。
家を守るという価値観が重視された時代のさまざまな決め事は、
自分には幼少時代から理解しがたいものであり、それに対して
ずっと抗ってきた。
結婚なんか、するもんか。養子婿をもらえ?なんで?
と少女時代から思い続けてきたには、わけがある。
世の中の習わしにただ従うということでは、自分の人生が
おかしくなる。そんな不自由な生き方はしたくない。
という考えがずっとあった。

生まれて育ってきた自分の姓名。親が命名した。
これは、ある種、思いを込めて付けた、商品名のようなものだ。
その後、職業やさまざまな理由で芸名を名乗る人もいるが、
これは自分の意志。

一方、慣習、通例だからといって、自分の意志に反しても、
結婚という契機に姓を変えるということは、自分が別物になるという感覚。
他の皆さんはどうかわからないが、少なくても自分にはそう思えた。
自分が自分でなくなるようなことであれば、結婚はしない方がいい。
アイデンティティを失われる。と、そんな風にずっと思っていたし、
この考えでここまで貫いてきてよかったと思う。

ここにきて、世間が動き始めている。
おそらく、この家制度や男尊的な価値判断は、時代に合わなくなって
変わっていくだろう。
今さらと思っている。
この生き方を貫くために、いろんなことに逆らってきたから、
強くもなれた・・のかもしれない。だから、今ごろ何を、とという
気持ちも正直消えないだろう。

同姓・別姓なんでもいいが、自分で選べる社会。
何よりもアイデンティティをもって、自分らしく生きられる社会。
ここが一番大切だ。
世界にひとりしかいない自分を、大切に生き切る。

今尾昌子で生まれ、終わる。それでいい。と、これはあくまでも
私の場合。
それぞれが、悔いないように好きなように、そして自立と責任をもって
生きる社会に。
改めて依存から自立、自由と責任の時代になる。そこは大賛成だ。

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