どんな手を使っても?

ある方との会話で、この国、この世界の先に光はあるか?希望はあると
思うか?と投げかけた質問に、
「あまり期待できない。どんどん悪い方向にいっていますよね」
との答え。まったくそのとおりだと思っているので、
では、どうすればいいと考えるか?・・・また問いかける。
「国とかにはもう期待できない。世界中がそういうことになってくると
思いますね。だから国ではなく、個人でのつながりを大切にしていくしか
ないと思います。まさに国を越えて、ですね。」
心から共感できるアンサーである。

国のリーダーを決める選挙も、相変わらずおかしく、見苦しい方向に進んで
いる。フェイクニュース、ネットでの操作、介入・・・。
また、ある勢力は、激戦区でお金を配って投票させようとしているようだ。
幻滅である。
どんな手をつかっても、権力者になろうとする輩は、権力者になった暁には
国益を目指すのではなく、私欲のために権力行使をする。
どんな手をつかってでも。
日本でもそうだ。隣国でもそうだ。今、戦争を仕掛けている国もそうだ。

どんな手を使ってでも、自分の夢を実現しようとしている似非リーダーの
台頭。これらの現象が世界を内面から腐敗させている。

どんな手を使うか。クリーンでまともな方法でやればいいではないか。
正々堂々と。知恵をしぼり、真正面からぶつかればいいではないか。

悪知恵にだまされないように、真偽を見極める力をもって、民主主義を
守るのは、それを求める自分たちだ。
何事も自分事の意識で。
ここが一番の課題。

悲観せずにいられる世の中にしたい。
自分さえ、今だけよければ。の心が、どんな手を使ってでも・・を生む。
それをゆるしては、黙ってみていては、いけない。

どんな手をつかっても。
ここは要注意だ。

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