昨日10月15日をもって、わがふるさと長良川の鵜飼は今年のプログラムを終了、無事、
幕を閉じた。
いつのまにか、父の病い、そして旅立ちと重なり、長良川の鵜飼は父や母をしのぶ
大切な存在になった。川面に浮かぶ漁火が、鮮やかだった人生を再び照らし、それを
闇が包む・・・。
荘厳であり、はかなくもあり、とにかく美しき永遠の美を感じる瞬間である。
最終日、このフィナーレに立ち会うため、
電車とバスにかけ乗って長良橋に向かった。
鵜飼い船の動きとともに現れる、闇の中の長い光を感じ、わが鵜飼の唄「やがて・・・」
を口ずさみ、橋の上からこの風景を見守る。
6隻の鵜飼い船が集まってくる、「総がらみ」は、個の鵜飼のクライマックス。
父との思い出を空に描いて、もう姿が見えなくなって3年経ったけれど、
またこの季節を送ることになった。
今年は、もう涙なしで、見ることができる。
この場所には愛着と誇りをもっている。
長良川と岐阜城。ふるさとが永遠であることのシンボル。
最終日は花火でこの鵜飼が閉じる。
花火こそ、鵜飼にふさわしい。
おもしろうて、おもしろうて、やがて・・・夏は終わり、冬に向かうのだ。
このフィナーレだけのために、やってきてよかった。
ピンクの花火を見て、思わず、信長も城の上からこの風景を喜んでいる
のでは・・・と。
来年5月まで、この風物詩ともしばしお別れ。
ふるさとよ、永遠なれと願う瞬間。
おもしろうて、おもしろうて やがて・・
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