一緒に過ごす1日

今日で、父の旅立ちからまる3年。
前にも書いたが、その時間に実感がない。
もう3年?まだ3年?長くも、短くも感じられるし、5年と言われても
そうかもしれないと思う。だんだんそんな感覚になるのかもしれない。

一度止まった時計は、二度と動かない。

ではあるが、誕生日とともに亡くなった日も大切な日である。

今日はどのように過ごそうかと考える。
一緒に旅した先に出向いてみるか、一緒に行った喫茶店に出かけてみるか、
元気な時の父を思い出す時間とするか・・・。

一方、明日で今年もフィナーレとなる、長良川の鵜飼の様子を見ながら、
父を偲ぶとするか。

最近、歩いているときに思い出すことは多い。
意識的にそうしているときもある。

その人のことを忘れないでいれば、ちゃんと覚えていれば、
その人は亡くならない。
記憶され続けることで、ずっと一緒に生きることができるのだ。

そんな感覚を実感しながらも、
でも、やはり思い出すと、いろんな場面が沸き上がって涙も出る。

今日は父に、免許の返納を促した日。
その2年後が、命日となってしまった・・・。

このふたつが、ずっとセットで思い出される10月14日。

「ありがとう」と、「ごめんね」 の気持ちを抱きながら
父の自慢であった美しき長良川に静かに祈りをささげたい。
この空で、
お母さんと、仲良く楽しく、過ごしているかと
想像しながら・・・。

今日は、父と一緒に過ごす日。

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