国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館という名の建物は、原爆資料館に隣接して在る。たまたま、3年ほど前にそこで被爆体験の朗読会をされていることで立ち寄ったのがきっかけで、それ以来、何度か足を運び、自分の知らない原爆の恐ろしさ、とくに被ばくされた方々の体験について少しづつ見聞させていただき、祈らせていただいている。
この空間は、本当に静粛なる空間で、下界の喧騒とは別世界。
79年前、このあたりは、焼野原になり、恐ろしい風景であったことを一切感じさせない、聖なる空間。
でも、そこには深い悲しみがある。安らかに眠りにつけていない方々の魂もある。そんなことを感じる場である。だから、ここは、亡くなられた人と静かに向き合う空間なのだと
自分なりに心得ている。
この建物、一階には、写真のような水盤がある。
この地で被爆、亡くなられた方々が求めた「水」をたたえる意味があるとのこと。
昼間はこのような姿で、空や近隣の景色を映し出しているが、夜になると、光ファイバーにより1945年に死没された方の数(約7万)の灯りがともるそう。
水を求めた・・・。
この水盤をみるだけで、当時のことを想像し、思わず手をあわせたくなる。
この近所にある川にも多くの方が水を求めて、飛び込んだという。
その世界を想像するには、現地を訪ねるのが一番だ。
どんなに熱く、苦しく、痛く・・・。
戦争は、恐ろしい。という言葉だけでは言い尽くせない。
今回のノーベル平和賞への余韻は続く。
これが戦争の終わり、核兵器廃絶につながるように、今日も長崎の空を思い出して
静かに祈りたい。
そして、運動会が開かれる季節。
平和だからこそ、運動会もできる。
水を求めた人たちへの祈りを改めて。
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