たまたま、先日、長崎の原爆爆心地や資料館、被爆者祈念館界隈を
歩きながら、この銅像の前でたちすくんでいた。
本当に、なんということを・・・。
ここに来ると、いつも現実の恐ろしい世界を想像し、被爆された皆さんの
ことを思う。
また、資料館の玄関や各所にある折り鶴。全国から届けられてくる
平和への祈り。
どれだけ多くの人が、このありえない苦しい経験を二度と繰り返すな
と言っているのに、なぜ戦争が今も・・・。
という悲しい気持になりながら、このひとつひとつの折鶴に込められた
願いに勇気づけられた。
本当に人間はおそか、哀れな存在。
権力をもつ人間ほど、そうなのか。
とやりきれない気持が湧いてくるのをおさえきれない・・・
そんな気持ちでいた。
そんななか、今回のノーベル平和賞の報せ。
ああ、良かった。世界の人に改めて、この教訓を知ってもらえる
機会になる。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の今回の受賞、
長崎や広島の皆さんは、どんなに喜んでおられることだろう。
活動を長きにわたって続けてこられた、ひとつの成果。
もちろん、これがゴールではない。
ゴールは核兵器の廃絶。核抑止力なんてものも本来は要らない。
絶対に、皆さんのつらい経験が二度と再現されないように、
新たなヒバクシャが絶対に生まれないように。
平和な世界に向けて、声を上げ続けなければ。
今朝、改めて広島、長崎の経験を伝え続けている人達に敬意と
エールを込めて。
ノーモア ヒバクシャ。
ノーモア ヒバクシャの思いをともに。
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