新幹線にはここんところ、連日乗ることが多い。
朝、京都駅に着いてすぐの習慣は、京都新聞の「朝刊」を買うこと。
そして、仕事が終わって、帰り道には「夕刊」を買う。
夕刊は、コンビニによって扱いがないため、元気が残っていれば、
時間があれば、わざわざ歩いて、販売していることが
わかっている店までわざわざ出向いて買う。
それぐらい、地方紙が好きだ。
新潟へ通っている時も、毎度新潟日報を買い、県内の企業さんが
掲載されているかをみつけるのが楽しみであった。
夕刊はなくなってしまい、とても残念。
わが地元の岐阜新聞も、夕刊がなくなって久しい。
朝刊は朝の頭のエネルゲンとして、夕刊は疲れを癒すお供として、
そして読み終わったら、何かを包むためにとっておく・・・。
ニュースペーパーは、とても有用である。
生前、母は新聞紙をどこまで読んでいたかはわからないが、
包紙としてはよく利用していた。
子どもの頃の父が持って出かけていた弁当箱は新聞紙に
くるまれていた。
そんなことまで含め、新聞はマルチコミュニケーションツール・・・。
ネットニュースに惑わされず、
プロがしっかり書いて、カタチに残る、
手に取って読むことができる新聞との向き合い時間を
大切にしたい。
ネットまみれで、情報を流し読みするだけでなく、
しっかりジャーナリストの使命を感じたい。
そして、新聞を広げる瞬間の世界観を楽しみたい。
何が詰まっているのかな。
作っている人たちの顔を浮かべつつ・・・。
ニュースペーパー。
永遠に残ってほしい大切な存在・・・。
朝刊・夕刊‥という言葉も含めて・・・。
そんな気持ちで、昨日の帰り道は、東京駅でコーヒーを買う代わりに
駅のキオスクで販売していた夕刊を全種類買ってしまい、
車内で眺め、そのまま眠りに。。。。
とてもいい時間であった。
NewsPaperが、好き!
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