毎日が敬老の日、学びと感謝の日

欽ちゃんはすごいもんだと改めて思う。70歳を過ぎてから大学へ通っておられる。仏教を勉強されているそうだ。忘れることを恐れず、どんどん知識を注入することで頭を活性化するそうだ。すばらしい。また毎日、会う人がいるということが幸せだそうだ。大学に行けば若い学生たちにいっぱい会える。そして交流するのがお互いに刺激的らしい。

瀬戸内寂聴さんと美輪明宏さんの長崎での対談番組を見て、お二人とも生きた道は違えどそれぞれに精一杯、わが道と才能を信じて生きてこられた様が、一言一言に表現されており、そのことに感動。またその言葉の意味の重さだけではなく、その発し方に心が震え、ジョークを交え、さらりと深い話をされるその表現にも感心し。つい手を止め、見入り、聞き入ってしまった。

人に感動を与える生き方とは目先の結果を気にするのではなく、人生という大河に向かって思い切って身を投じるような挑戦的な生き方なのだろう。どこか根幹から揺さぶられるような熱いもの、強いものがある。表層的で自己的な生き方からは重い言葉は出てこないし、は人を救うこともできない。このお二人の言葉に救われる人は多いはずだ。真剣に自分らしく生きているその姿から学ぶことは多い。

もし年を取ったら、いや、毎日とっているし、とっていく。どうせ生きるならばもっともっと精一杯生きなきゃ、人生がもったいない。

そう、もう少ししたらまた大学にも行きたいし、もっと違うステージで表現してみたいし・・まだまだやるべきことがある。そして他人はどうでもいい、自分の価値観こそが大切だ。

とっても生意気だけれど、欽ちゃんにも寂聴さんにも、美輪さんにもそれぞれ共感してしまう自分がいる。

とにかく素晴らしき先人たちにもっと出会いたい。そして自分も後輩たちにいい影響を与えることができる人間になりたい。

毎日が敬老の日であり、感謝の学びの日だ。先人の生きざまを大切にし、自らが生きる道しるべにしていきたい。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク