柳ケ瀬での出会いからうまれた1枚。

激しかった雨がやみ、蒸し暑い三連休の中日の午後。展覧会の最終日に何とか駆け込み、間に合った。
岐阜新聞本社ロビーコンサートでの演奏風景を描いていただいた作品が
柳ケ瀬のギャラリーで展示されていたのだ。
写真の作品がそれである。タイトルは「奏(かなで)」。素敵な名前。なんだか、見ているだけで音色が聴こえてきそうな、さらに場の一体感、調和をも感じる1枚。

作家さんは、この柳ケ瀬商店街にある八百屋さんの店主、村瀬さん。実はまだ絵を習い始めて2年目とのことであるが、視点といい緻密な描写といい、配色といい、お見事な出来栄え。私の演奏を見ながら、どんな構図でどう描こうかと考え、制作に着手。すでに半年ほど前に出来上がっており、しばらくお店に飾ってあったが、今回はお仲間たちとの展覧会に出展ということで、外でのお披露目は初。

自分がモデルになった作品。正面からの顔(肖像画というほどでもない)は、20代の時、初のパリ訪問時にモンマルトルの広場で描いていただいたことがあったが、演奏風景は初めて。
立ってピアノを弾いて歌うという独特のスタイルをうまく表現いただいている。その時のマイクの配置で少し猫背気味なのも味わい。
絵の先生からは、「若いモデルさんですね~」と言われたそうであるが、
絵画制作とは、瞬間のいのちを感じ、拾い上げて表現する仕事。とすれば、とてもうれしいお言葉。
演奏中の瞬間とは、若々しい、パワフルなものであればよいといつも思っている。でも、自分ではそれがどう見えているかはわからない。
作品になって、はじめて見える化される。

この作品は、今後、自分がお預かりすることになる。
自分のコミュニケーションツールとして、自分が大切に活用させていただく。

ふるさとでの演奏、親の旅立ち後の出会いから生まれた1枚。
人生のお宝がまたひとつ。

絵のモデルになれるとは、光栄なこと。
八百屋の画家さんに、心から感謝しながら、秋のおとずれを待つ。



カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク