半世紀ぶり、母校のピアノ。

敬老の日に出演した、母校(小学校)での演奏会。
体育館が会場だ。
ステージの上から、会場にお集まりの傘寿をお迎えの方と、地元のお世話係の皆さんと
ともに、このピアノの音色とともにひと時を楽しむ。
ステージというのは、ちょっと上から目線で、お客様に申し訳ない感じではあるが、
まあ、よく見ていただくには、これがいい。

演奏の最初に、思わず「仰げば尊し」の触りを弾いてみる。
会場のみなさんも、私自身も、この小学校の出身であるから、卒業式を思い出す。
ああ、あれから半世紀経ったのだ・・・。
「ピアノがもう古くてね・・・」とお借りするとき、
学校の先生が言われていたが、確かに50年前に弾いたピアノかもしれない。
年季の入った音色である。
時代を越えて、多くの先生が、生徒が弾き、みんなで校歌をはじめ、各行事ごとに
歌を歌ってきたのだろう。

大きな古時計・・ではなく、大きな古ピアノ。
ピアノはじっとそこにいる。多くの人を送ってきたんだろうなあ・・・。


楽器には、人格が宿っていると思う。私にとっては、ピアノも生き物。
と思うと、なんとも愛おしく、ありがたい存在と思えてくる。
「調律はいいですよ。もったいないので」
と、普段の音のままで演奏したので、聴く人が聴けば、多少ピッチがおかし
いと思われたかもしれないが、お客様はご満足のご様子であったので、それはそれ。
使い古した音も悪くない。

またこのピアノに会いに行きたい。と思うと同時に、
実家にあるマイピアノのことも、さらに愛おしく思う。
この学校のピアノと同じぐらい、実家でのあれこれの出来事を見続けてきたのだから。

ピアノとともに生きる。改めて、弾いて歌える人生に歓びを感じ、感謝の念が湧いてくる。

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