敬老の日に思いを寄せる。

もともとは、本日9月15日が敬老の日。
正直、これまで「敬老の日」について、深く考えたことがなかった。
もちろん、親がいた頃には、9月15日になると何かしらプレゼントを
したこともあったが、親が老人であることを認めたくない時期もあり、
なんとなく、あまりいいイメージをもっていなかったが、それは
若さゆえの理解不足であったかもしれない。

戦争で子どもを亡くし、意気消沈している親御さんを励ますという
意味あいもあって、戦後に兵庫県のある村で開催された老人会が
始まりであるという。
戦争がなかったら、この取り組みはなかったのかもしれない。
ちなみに当時は55歳以上が対象であったらしい。
(ここまでネット検索による情報より)

その後、このお年寄りを敬う、長寿をお祝いするという機会が
全国に広がり、今日にいたる。
市町村が主催となって、この日はその町に住む高齢者を祝う。
ただ、超高齢化社会になって、高齢者全員をお祝いすることが
難しいということで、現在、岐阜市の場合は80歳の方限定での
敬老会が開催される。
傘寿の方ということになる。
いわば、80歳の同窓会ということになる。

高齢者の数が増えてきたため、このように限定せざるを得ない
状況も納得。
でも、暑いと外出もしんどくて、また80歳になると移動手段も
難しくて、なかなか参加もしづらい。
という現実もあり、主催者の皆さんのご苦労もなかなか・・。

また、こういった地域の行事を取り仕切るのも高齢の方。
老々介護ではないが、老々行事になっているこのような行事。
地域の行事といえば、まつりもそうであるが、同じくこういった
イベントも今後のゆくえが気になる。

今回、この敬老会でコンサートを行う機会をいただいた。
本番は明日であるが、(敬老の日は今年は9月16日)
今日は準備。
地元のお世話係の皆さんが、会場づくりを行われる。
今回、集客・広報段階から少しかかわらせていただき、
とにかくお世話係をされている方には、頭が下がる。
皆さん、地元のために尽力されているボランティアである。

「マーサさんの演奏を楽しみにしています」
「今年は昨年の倍ぐらい、集まってこられます。」
と期待と安堵と・・・。
との有難い言葉を胸に、精一杯のお祝いステージを
担わせていただこうと思っている。

「おまえがやったらいいのになあ」
その昔、敬老会の参加対象年齢が絞られていなかった頃、
母が会に行っては、そんなことをこぼしていた。
やっと、実現した敬老会での演奏。

母校の体育館のステージで、ピアノで。
今日はまずリハーサル。
お世話係の皆さんとともに、明日に備える。

敬老の日。
人生の先輩、それぞれの人生に寄り添い、
一緒に楽しい、きらめきのひとときを過ごせたらと
思う。
80歳の方とは、昭和19年1月から20年4月生まれの
方を指すとのこと。
同窓会。いろんな思いが沸き上がる。

元気に生きなくちゃね。
そんな思いにあふれるフィナーレを目指して。

敬老。お年寄りを大切に。人を大切に。
敬老の日に限らず。毎日のことだ。

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