あるクリエイター仲間との話。
「自分たちは定年はないし、その道を選んだのだから、一生現役で通用
するようにがんばらなくちゃね!」
「そのためには、若さは絶対必要!」
「そうそう、絶対若い人に、仕事頼みたいよね」
と、自分たちは世間でいえば、しっかり中年のお年頃であるのに、
そんな会話が続く。
「見てくれは大切ですよね。」
その人は、髪の毛も染めて、服装も20代の人が着るようなTシャツに
パンツのいでたちで、360度ヤングな見た目。何年もずーっと変わらない。
「今尾さんも、変わらないですよね」
と言ってくれるのは、うれしい。
「同級生とかたまに会うと、いつまでそんな若い恰好しているんだとか
言われるけど、なんで、みんな年相応になっていくんかなと思えてならな
いんですよね。若々しい方が絶対いいのに」
と、そのクリエイターは、とにかく彼なりに努力をし続けている。
若い人とつきあうこと、若い人のセンスを見習って?自分も若く見えるように
している。だから、いつの間にか、その人は周囲から何歳かわからない人に
見えている。
彼とは四半世紀のつきあいになるが、ずっと変わらないなあ。その姿に
頭が下がるし、共感もしている。
一方、最近、年下のある女性から、
「これまでに体験したことがない体調になったけれど、それは更年期でしょうか?
そんな経験はありませんか?」と聞かれた。
「いやー、ないわ。更年期なんて意識したことないし、そんな症状もない
し。そんな言葉に惑わされない方がいいと思うわ。違う違う、と思っておいた方が
いい。」という会話をしたことを思い出す。
年だから更年期障害。というのは、信じない。何でも個人差があるから・・。
なんでも気から。なんでも行動から。
年相応という言葉は、守りの言葉。
そして、何かをあきらめるためのまじないのようにも見える。
多様性を大切にする時代、社会であるならば、好きなように、自分がしたいように
なりたい、有りたい姿を目指せばいい。
年齢の枠を超えて、なりたい自分に向かえばいい。
もちろん年相応の常識は前提であるが、それは当たり前のこととして。
ということで、わが辞書には、「年相応」という言葉もなし。
それでいい。
年齢があっての自分ではなく、自分がまずありきである
これからも、最初に書いたクリエイターと同じく、
いつになっても、いくつかわからない人であり続けたい。
わが辞書に「年相応」は?
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