自分の言葉で語る力。

メディアでカマラ・ハリスを見ると、つい、「がんばって~!」と
エールを送りたくなる今日この頃。
ほんとうに、バイデンさんの決断には感謝だ。

おかげで、この1週間の間、ハリス氏の露出も増え、
彼女のプレジデンシャルなイメージをつかむこともでき、
明るい未来の兆しも見えてきた、
プレジデンシャル・・とは、大統領としてふさわしい姿。オーラ。
今回の演説を見て、民衆への登場感を見て、その空気は十分伝わって
きていると思う。

女性という点をとくに表現せず、普通にひとりの人として登場する
ところもとても良い。女なんかにつとまるか?というイメージにつながらず、
性別を超えたひとりの人としての見え方は大切で、それよりも、
ほどよい若さと力強さを感じるところが、私には心地よい。
じいさんたちの醜い応酬をもう見なくていいのがうれしい。
(この対決は人間の老いについて学ぶことが多いという点では
それなりの意味があったかもしれないが)

それよりも、ハリス氏の見た目の印象だけでなく、自分の言葉でしっかり
話している点について、とても安心した。
批判する人からは、「ワード・サラダ」的である、何が言いたいかわからない
という見方もあるそうであるが、スピーチ力はこれから磨かれるだろう。
確かにオバマ夫妻のようなスピーチ力には及んでいないかもしれないが、
これからだ。
現時点でも、十分一言一言、人に伝える力がある。
それは、自分の言葉だから。自分の内側から発している言葉だから。

どこかの国のリーダーのように、まったく伝わってこない虚ろな言葉
ではない。
すぐれたリーダーの要件は、スピーチ力だ。政治家とは言葉の仕事であるから。
魂が籠っていなければならない。

自分の言葉で語れる。
そして、それが伝わり、聴く人が元気になる、安心する。賛同する。
自分の言葉は、そのまま強みにもなる。

これからしばらく選挙戦の間は、私はスピーチ力の勉強をさせていただく
つもりだ。

カマラ・ハリスが、アメリカの常識を取り戻してくれるように、
心から期待している。


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