VRとはバーチャル・リアリティ。三次元、360度の世界を
ゴーグルやヘッドホンを装着して、体験できる仮想現実。
すでに多くの方が、それを知っているし、さまざまな分野で体験されたことも
あるだろう。
聴覚・視覚を通じて、まるで本当に存在するかのような世界が目の前に現れる。
でも、触れることはできない。摩訶不思議な世界。
行けない場所に行ったような経験ができるため、観光名所の再現や、企業の
工場見学などさまざまな用途で活用されている技術だ。
ということは知っていたが、今回、たまたま先に書いた演奏に出かけた
「安らぎカフェ」の会場で、「VR認知症体験」というのをやっており、
カフェにやってきた年輩の方たちが説明を受け、体験をしていた。
私にも、演奏する前に、「やってみますか?」担当の先生に声をかけられ、
いったいどんなものなのか?という興味で、ゴーグルとヘッドホンを
装着して、見せていただいた。
短いものは2分、長いものは数分。
いずれも、見る人自身が、認知症になったときの自分をVRで体験できる
らしい。
最初はショートバージョンを試してみる。最初は何を見せられているのか。
会話と見える世界が違うことはわかったが、意図がわからず。
あとで聞くと、施設からのお迎えの車に乗った本人がその車を降りる時に
見える世界の再現であった。
車から一歩足を下ろして地面に足をつけるだけのことであるが、
自分は高所にいて、怖くて降りられないという世界。
高所にいないのに、いるように見えてしまうという症状があるそうで
それを体験させてくれたというわけだ。
次にロングバージョンを見せていただく。こちらは認知症の患者さんが、
知人の家を訪問し、いろいろ会話をするのであるが、本当はその部屋には
二人しかいないのに、何名かの人がいるかのように見える。
幻視の世界である。それをVRは再現している。
実際に聴こえてくる会話の人数や内容と、見えている世界がずれている。
この幻視も認知症の症状のひとつらしい。
短時間の体験であったが、ちょっと気分が悪くなりそうになった。
VRの技術のせいか、見えた世界の違和感からか・・・。
とにかく、認知症になるとこうなるんだ。ということは少しわかった。
そういえば、母が少しおかしくなってきた頃、「〇〇が見える」とか
何度か話していたことを思い出した。これは、そういうことだったの
かもしれない。
認知症の症状を家族や周囲が知っていると、本人への言葉のかけ方も
変わる。
知らなければ、「〇〇が見える」と言われたときに、
「そんなもの見えるわけない、おかしいんちゃう?」と言ってしまうだろう。
でも、知っていたら「そうなんだ。〇〇さんもいたんだ~。いたのかもしれ
ないね」と、会話も変わっていたかもしれないと、ちょっと反省。
VRが介護の世界でも活用されていることを知り、勉強になった。
高齢で元気な方はその世界をVRで経験することで、認知症にならないように
〇〇をしよう。と参考にしながら、日々の運動をがんばれるかもしれないが、
できれば、本人だけではなく家族や周囲の人こそが、この経験をしておく
と、より確かなサポートができるのではないかと思った次第。
認知症という言葉はすでに馴染みが深いつもりでいたけれど、
仮想体験をして、身が引き締まった。
加齢。油断していては、老化は避けられない。
毎日、毎時間、毎秒、人は生きながら老いていくけれど、
自分が自分として、元気にあり続けるために、仕事や運動、また小さくても
目標をもって前向きに生きることを忘れずに、やり続けたいと、改めて。
VRは楽しいツールというだけでなく、有用性の高いものであることも
学べる貴重な体験となった。
もしも自分が認知症になったら?を体験する
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