子どもの頃から、本当にマイノリティで・・・。
こればっかりは。という感じで、このおかげで、どれほど親に反抗して
きたか・・・。
「十人中、九人やることをやっていればよい」という父親の教えは、
私に反面教師としか映らず、
「一人一人違うのに なんで?おかしいやん」と言っては怒られた。
いわゆる、「親に口答えをする」扱いづらい娘だっただろう。
まあ、その先もいろいろあるが、今となっては、父の笑った笑顔を
思い出し、その頃を懐かしく思い出す。
世間が当たり前と思うことに対して、とにかくまずは疑う。
哲学に興味をもったのも、まずは疑うという目線が自分に合って
いたのかもしれない。
世間が当たり前と思うこと・・いろいろあるが、たとえば、健康診断。
人間ドックも然り。
あれは、病気を探すための検査。と思ってきた。
健康長寿であるために、その検査は重要という見方はわかる。
身体の状態をいち早く知って、メンテナンスすべきはして、元気に
長生きしましょう!というのはわかる。
でも、その検査自体が苦痛であれば、無理しなくてもよい。
これまでいろんな検査をやってきたが、なんで、こんな痛い苦しい思いを
して・・・と複雑な気持ちで帰ることが多かった
もちろん、経営者の方や一家の大黒柱の方など、多くの人に影響を与える
方は、もちろん検査もメンテナンスも必要だ。
でも、私のような場合は・・・。
病気は知らなくていい。
余命・・・といわれてもいい。
毎日悔いない人生を生きれば、それでいい。
と、やはり思ってしまう。
最近、腰の調子が気になって、医者にすすめられ、MRIをやってみた。
久しぶりだ。10年以上前に、頭の検査をやって、懲りたことをそのとき
思い出した。あの苦痛を忘れていたのだ。ああ、あれか~。やめとけば
よかった・・・。
あの何とも言えない苦痛。不自由さ。これこそ、自分はすでに違う世界に
逝ってしまったのではないかと思える時間であった。
苦痛の一言。
結果は思っていたとおりのことで、それを見える化していただいたこと。
まあ、あの苦痛の時間がなくても、検査したから・・といって、得たことは
あまりなかった。
やはり、これからも検査はしない。を改めて。
検査しましょう!が主流の世の中の動きに、やっぱり逆らっている。
明日のことよりも、今日の自分をまず・・・。
明日地震が来るかもしれない。今かもしれない。
と思うと、ますますそんな気持ちになる。
マイスタイルを最後まで貫くことが一番!
妥協せず、悔いなく生きたい。そして逝きたい。
もちろんスタイルを変えたいと思ったら、変えればよい。
それ自体も、マイスタイルだから。
マイスタイルは、最期まで。
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク