災いのない世界へ心からの祈りを。

今日は長崎に原爆が投下された日だ。もう79年になるそうだ。
近年、意識をもって関連する資料に接することも増えたが、
もし、今、自分の身の回りで・・と思っても、想像できない世界。
広島の方も、長崎の方も、本当によく耐えて、がんばってここまで
こられたと、頭が下がる思いだ。
長崎の鐘という歌があるが、原爆によってもたらされた影響、人々の
分かれ・・・。聴くたびに悲しみがおりてくる。

真面目に生きていても、ある日突然におとずれる災い。
原爆はあってはならない人災であるが、それ以外にも人びと
を襲う災いはさまざまだ。

昨日も九州で大きな地震。
まだ続くかもしれないと、警戒する。
自然がもたらす災いは、未然に防ぐといっても限界があるから、
完全に避けて生きられるかどうかは、賭けのようなもの。
人災も、遭わないようにしたいけれど、どこにその火種が
潜んでいるかわからないから、これも賭けのようなもの。

同時多発テロも、オウムのサリン事件も、ニアミスで、
なんとかすり抜けてきた。
でも、その危険性は0ではない、深刻な世界情勢である。

原爆投下から時間が経つ。
忘れてはいけないのだ、と長崎の仲間たちが
被爆された方たちの体験を語り続けようとしている。
時間とともに薄らぐ記憶。
人災は人の手で防ぐことができるのだから、
そのために伝え続けなければならない。

今日は、そのことを改めて意識し直す日だ。
長崎に行けないけれど、耳をすませば、
アンジェラスの鐘が聞こえてくるようだ。

あってはならない災いが二度と起きないように。
祈りをこめて。

長崎の友人たちの顔が浮かぶ朝。
苦難の歴史を生き抜いてきている人たちに
改めて敬意を表したい

長崎の空、海そして町は、あの日も今もずっとつながっている・・。

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