「そこを去る」瞬間に想いを馳せる

軍艦島

やっと訪問できた島。「軍艦島」の名はその形からある新聞記者がたとえたそうであるが、実際は「端島」という。明治の時代から炭鉱の島として日本の近代産業を支え、昭和30年代はその繁栄のピーク、そして時代は石炭から石油の時代に向かい、1974年にこの島もその役割を終えた。1月に閉山を決め、3か月後にはそこで働いていた人も、住んでいた人もすべてそこを去った。この島を訪れる前日、偶然知り合いの紹介で出向いた出来立ての(なんと、開館2日目であった)「軍艦島デジタルミュージアム」でナビゲーターをつとめていた男性に出会い、衝撃的な話をたままた聞いた。この方は、なんとこの軍艦島出身者であった。父親が島で唯一の映画館(こんな小さな島に映画館があったこと自体に驚くが)を運営されていた。しかし当時の島民は高給でテレビの普及が本州よりもすすみ、どこの家庭にもテレビが導入、そして映画館は廃業。その父は映画館長から炭坑夫になったそうだ。その人が島を離れたのは12~13歳のころだったという。その話が深く胸に刻まれたまま、翌日ここを尋ねることができたのはなんとも不思議な感じだった。ずっとその元映画館長の息子さんの少年時代を思い浮かべながら廃墟と化した島を歩いた。そして船が島を出るときにだんだん島が遠くなっていく様を見て、胸がつまった。島民の人たちは、この島を出る最後のとき、どんな気持ちだっただろう。

繁栄の暮らし、小さな島での絆・・・日本の高度成長に貢献したこの島・・。見学者という立場なのに、島を背中にしたとき、泣きそうになった。産業遺産になってよかった。いずれ風化してしまうかもしれないが、それでも繁栄ということについて、日本の産業の歴史について学ぼうとする人が増えるきっかけになることはとてもいい。

きれいな秋空のもと、廃墟となった端島の輝いていた日をくっきりと胸に刻んだ。島を背中にしながら、思わずボイスレコーダーで浮かぶ音を録音した。島を去る・・なぜかやっぱりAマイナーのワルツになった。

 

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