世界はひとつ、ならば・・・。

開会式の愛の讃歌と気球には感動した。
歌の力を、改めて確信したから・・・。

そして現実に目を向け、改めてオリンピックのこと。
同じときに、戦争を続けている国のことや、血を流して息絶える子どもを
抱きかかえ困り果てている人のことや、飢餓状態の子供たち・・のことを
どうしても思ってしまう。
また、国別のメダルの数のカウントも、なぜ国で競うのだろう・・とも
思ってしまい、いつもオリンピックが開催されるたびに思う違和感を
今回も、今回は特に強く感じてしまう・・。

豪華なショーにしなくていいから、そこにかけるお金をアフリカの困っている
人たちに。戦争で被害を受けている人たちに・・・。
平和の祭典というならば、別世界の華やかさはほどほとに、本当に世界が
よくなることにもっと貢献を。と思ってしまう。

そんなことを思っているところ、南スーダンの陸上選手の存在を知った。
この方は、単に記録を作るために走りたいのではなく、自分が走ることで
内戦状態にある国がひとつになるきっかけになれば・・と思っての
オリンピック出場だという。
素晴らしい。こういうことこそ、意味がある。

世界はひとつ。ではないと思えることが多い昨今。
せっかくの機会である。世界がひとつになれるように、オリンピックには
その役割を担ってほしい。

オリンピックの歴史においては、開催中は休戦をして競技を行った時代も
あるそうで、素晴らしい。
そういう力こそ、持ってほしい。

経済効果以上に大切なこと。その使命を忘れずに。
どうしても、このことが頭から離れない。

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