国とは?を考えるオリンピック開会。

セーヌ川を各国の選手たちが船に乗って進んでいく、風変わりな
入場式でパリオリンピックが始まった。
コロナ前に足を運んで以来ご無沙汰のパリの街並みが蘇り、ああ、
さすが、「おパリ」な演出であると少しの間、みていた。
各国の選手団が笑顔で旗を振り、紹介のアナウンス・・・。
はじめは楽しく見ていたけれど、ふと今戦争している国のことが
頭をよぎって、チャンネルを変えてしまった。
世界各国が結集して、さあこれから、スポーツの祭典。といっている
のに、戦争は続いているのだ。
国どうしが、スポーツを通じて交流する。平和のシンボルとしてのイベントが
どこかしら、限定的な感じがしてきて、複雑な思いに包まれた。
あれはあれ、これはこれ。ではない。
ロシアの選手はどんな思いで、ウクライナの人たちは、パレスチナの人たちは・・・。
また戦争でなくとも貧困にあえぐ国の人、被災している人たち・・・。
それどころじゃない人たちも世界中に多くいる中での、華やかな祭典。
選手たちには、もちろんやる以上、金メダルを目指してがんばってほしいし、
観客に元気のエールを送ってほしい。
華やかな舞台に出られない、見られない、それどころじゃない人もいるという
こともわかって、がんばってほしい。
国という線引きがあるから、オリンピックは楽しめる。
まあ、町内対抗運動会の発展形。と思えばいい。
一方、国という境界線があるから、戦争も起こる。

オリンピック。いろいろ考えさせられる時間にもなりそうだ。

それにしても、雨のエッフェル塔が美しかった。輝くパリ。
一方、不吉な事件もすでに起きているようで・・・。不安もある。

どうぞ無事にプログラムが終了し、閉幕できるように。
願わくば、これがきっかけで戦争が終わる・・・ならば、
やる意味があるこの祭典。
実は、それを一番願っているが・・・。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク