免許返納と立候補辞退。

先日、ある記者の方と話していて、免許返納が社会的な問題になっており、
それをコミュニケーションの観点から取り上げると聞いて、なるほど。と
思いながら、父の免許返納の時を思い出し、苦しかった気持ちが蘇った。
私や妹、母にとってよりも、父本人にとって、老いを認めなければ
ならない人生最大の苦痛であったのではないかと。
運転することが自立して生きること。であった。
免許返納は、本当に難しい問題である。

一方、最近よく見聞きする、お隣の大統領選挙の話題。
高齢への不安。高齢だから立候補を辞退すべきでは。
日々、その声が高まっているようだ。
でも、今のところ、ご本人は事態する気持ちはなく、戦う意欲をお持ちだ。

ふと、今回の立候補の問題は、運転免許の返納と同じだと思えてきた。
一台の車による交通事故によって、本人だけでなく、尊い人命を奪って
しまうこともある。現実に年に何件も起きている。
人に迷惑をかけるわけだ。だからやめておいた方がいい。
大統領の仕事は、まさに国という複雑な道を運転し続けるようなもの。
安全な運転をしないと、思わぬ事故になる。
判断を見誤ると、取り返しのつかないことになるのだ。
国際問題から戦争への発展、そうでなくても経済への悪影響・・・。
結果、国のイメージだけでなく、国力を低下させていくことにもつながる。

今の日本だって、安全な運転はされていなくて不安でたまらないのに、
その運転手が高齢で危険な要因を持っているならば、免許は返納すべき。
立候補は辞退すべきであるが・・・。

それを本人にどう納得させ、自ら降りると言わせるか?
諦めさせるのではなく、本人が納得し、決断できる前向きな言い方は?
ここは、やはりコミュニケーションだ。
一番信頼できる人とのコミュニケーションがとても重要だ。

毎日、最近、バイデンさんの顔を見ると、免許返納前の父の顔が
浮かんでくる。
言われる前に、自ら返納する。辞退する。
みんなのために。

気の毒だと思いながら、複雑な気持ちで隣国の行方を見守っている。

何事もよく考えて、自らが決めたい。
人生のクライマックスで一番大切はことは、引き際だ。
いつまでも、俺が私が・・・といっているのは、恥ずかしく、見苦しい。

何事も自らに置き換えて・・・。

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