十分にコミュニケーションがとれていないために生じる誤解、摩擦。それをまずなんとかしてから前に進めばよいのに、何か急いで既成事実を作ろうとしている人たち。大切なことであれば、しっかり話し合って、わかった!という納得、共感をもってコトを進めればもっとよくなるのに、なぜこのような見方によっては一方的に見えるコミュニケーションしかとらない、とれないのだろう。
企業広報の立場では、良質のマスコミとのいい関係をお伝えしているが、良質なメディアとは何か?ということも最近よく考えなければならず、いろんな利権のために何かが動いている・・・と想像しているのは私だけではないだろう。
コミュニケーションとは何か。人が人として社会に生きていくための、まさに「人の間」を結ぶ活動だ。これなくして、自分の存在は理解されることはない。一見理解したふりをするのは、自分にとっていいことがあるから。自分にも利があるからだ。
「利」とは利益、利巧、利己・・・これは経済面では大切な要素であるが、政治はそれを超えるもっともっと大きなスケールでの視座・活動でなければならない。人として一番大切なこと。そのことがわからないで生きているとすれば、ほんとうに気の毒だ。
日本が民主主義の国というなれば、人としてあるべき行動をとる。ことが大切だ。
誤解をされているならば、誤解をとくように努力する姿勢こそが人の心を動かすのだ。
力では人は動かない。心で動くのだ。
人として、人として、人として・・。何度も唱えながら、自分のことも振りかえる。
政治家とは、職業ではなく、生き方であり、生き様であり、人生そのものなのだろう。
口だけでなく、人のに立つ仕事を。人として!
と、なぜか最近の日本の様子を見て、こんなことについ、力が入ってしまうのは
決して良いことではないのだけれど。。
今こそ、一番大切なのは、「人として・・」
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