休刊、廃刊、どこまで。

今年になって、愛読している広報誌・雑誌関連の印刷物の休刊、廃刊が
続いている。
昨日も、またひとつ、あるカード会社から最終号が送られてきた。
これもコロナの影響のひとつ・・か。

最後の表紙こそ、その広報誌らしく、きれいな写真を使って記念号にして
ほしかったが、まっしろな表紙に
「55年間、ご愛読ありがとうございました」
との文字が大きくあって、何とも言えない気持ちになった。
どんな気持ちで最終号をつくったのだろう。
本当に最後だからこそ、いつもどおりお客様がわくわくする表紙で締めて
ほしかった・・・といきなり残念な気持ちに。
それぐらい、終わってしまうということは、読者だけでなく、作り手にも
インパクトがある。いや、作っている方にこそダメージが大きいのだろう。

先日、長崎に生涯暮らし、聖書を印刷する技術を伝え、布教活動と
地元の繁栄のために命を投じたド・ロ神父の拠点に足を運んだが、
あの当時は、印刷はこれから!未来のコミュニケーションツールで
あったのに、100年以上が経過した今は、印刷よありがとう、さようなら!
の時代になってしまっている。
印刷はグーテンベルク以来、世界の三大発明と言われていたのも、
今は昔・・・か。

ではあるが、
デジタル中心の世の中が加速しても、、価値あるメッセージを伝えるため
に、紙媒体は、なくなってはいけない。
どうか、印刷に携わる皆さんも、ふんばってほしい!

一方、地方の新聞社につとめる記者歴のある知人が、新聞づくりに関わって
きたからこその何かをしたいと、今、挑戦を始めようとしている。
こういう人の活動も重要だ。新聞社にできること、記者にできることの模索と
実行!

休刊、廃刊。とても残念であるけれど、もしそうなってしまったら、
最終号こそ、絶対永久保存したくなるものをお願いしたい。
また、そうならないように、あって当たり前。と思わず
丁寧につくり、また作り手の心を大切にして、しっかり受け止めたい。

創刊が続いた昭和後期が懐かしい!
メディアのプロが元気だったころが懐かしい。

真っ白な最終号のページをめくりながら、いろんな思いが沸き上がる。

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