カタカナいっぱいの中で・・・。

カタカナはもともとは片仮名と書くそうであるが、かなと同じく、表音文字であり
とくに最近では、外来語を表記することに使われる。
情報化社会になり、とくにこのデジタル社会では、英語がそのまま生活に入りこみ、
カタカナが日常会話で飛び交っている。まさにカタカナ・コミュニケーションの時代。

半世紀以上前であれば、目新しかったマーケティングも、セールスプロモーションも
パブリックコミュニケーション、ステイクホルダーといった言葉も、すべて外来語。
意味を深く考えずに、ビジネスの場面で、すでによく知りぬいている言葉のようにして
使っているカタカナ言葉は多い。

最近では、さらにそれが加速し、学生さんの就職活動などでは、エントリーシートなん
て言葉はもう古いぐらい当たり前であるし、リスキリングにせよ、アンラーニングにせよ
・・・。とにかく、とにかく片仮名がいっぱいで、不思議な感覚に包まれることもある。

カタカナで表現すると意味が見えてこない。英語で書けば見えてくる。
たとえば、マーケティングというカタカナは音しか表現していないので、意味は想像できないが、Marketing とあれば、市場に関する言葉だとか、語源はマルシェか、市場を
生み出す活動なのだろうか・・といった具合に意味を考えるようになる。

また最近ではオンラインツールを使ったやりとりのなかで、「メンションしました」と
よく表示されるが、思わず、いったい何の意味?と聞きたくなる。
いちいちカタカナになって表示されることで、簡単なことも複雑なものに思えたりする
こともある。と感じるのは私だけか?ま、デジタル社会とはそんなものか?

私自身、コミュニケーション・クリエイターという、カタカナの職業名にしているが、
時々、生涯この名称でいくのかな?と四半世紀を駆け抜けて、改めて思うところはある。
カタカナのままよりも、もっといい表現はないのか?と思うのである。
コミュニケーション~人と人のつながり、関係性を通じて~幸せな世の中を
つくっていく仕事。という意味はもっているが、一言で言いたいから現在の表現を選んで
いる。けれど、わかる人にしかわからない職業名なのかもしれないとも正直思うところ
もある。若い時はそれでよかったけれど、今になると、もっといい表現があるのではと
思ったりもする。(考え中であるが)

とにかくカタカナがいっぱい。の世の中だ。
新しい言葉だ!と刺激を受けるのもよいが、もともとの意味を確認することを大切に
したい。

外来語をそのまま使うのではなく、自分なりの解釈をしながら、
自分で意味を考え、自分の言葉として、相手に伝わりやすく、わかるように使う。
このことも大切だ。

コンサルタントの仕事では、カタカナ用語を多く使う方も多い。
それらしい感じもするし、言葉の仕事では、こういった知識ももちろん重要だ。

そのことも理解した上で、私の場合は、本質に向かう仕事をしていきたい。
カタカナいっぱいの世の中で、表面的な理解だけでなく、腹おちのする
言動、行動をしていきたい。
言葉だけが泳いでいるのではなく、人の心に響き、人が動き始める、そんな
背中を押す仕事を続けたい。そこにはカタカナはあまり要らないかも・・・。

カタカナという文化。
もしかしたら、海外にはない発想ではないだろうか?
ここは、最近、興味があるところ。

外来もよいけれど、自らの考えをしっかりもつこと。
本質がわかること。
しっかり生きること。

振り回されず、よく考えること。


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