昨日、仲間とのやりとりで、この言葉の大切さについての言及が
あった。この「飲水思源」は、最初に井戸を掘った人のことを
忘れない、水を飲むときに、水源~設備を作った先人に感謝する
という意味。
水を飲まなければ生きられない。
生きられるのは、先人たちのおかげ。
生きていると、すべてが先人のおかげであることに気づかされる。
自分が初めてやったこと・・なんて、そんなにないのだ。
一方、
「ありがとう」という言葉。
これは、「有難い」という漢字になる。
有ることが難しい。
あって当たり前ではなく、本当はなかったかもしれないこと。
それがある。そのことに感謝しよう。という意味が込められている
と理解してきている。
だから、どんなことでも有難い。
平和であることも、当たり前ではない。
先人たちの絶え間ない努力があって、日本にいる自分たちは
日常生活を過ごしていられる。
有難い日常・・・なのだ。
と、物事の本質をとらえて、日々生きているだろうか?
目先のことだけに追われて、有るのが当たり前、やるのが当たり前。
と先人たちの、先輩たちの苦労に目を向けることなくスルーして
いないだろうか?
と、日々の事象を見ながら、自分の来た道をふりかえってみる。
改めて「飲水思源」の意味。そして心からの感謝。
こういう気持ちをもつことが、謙虚で誠実な行動になるのだろう。
何をするにも、そこを忘れずに生きていきたい。
と、今朝も強く思う。
先人がいて、自分がいる。
あなたがいて、わたしがいる。
というお互いの感謝の気持ち。
そこがなかったら、人間社会は壊れてしまう。
まずは、自分から実践しよう。
すべての先人に感謝し、有難い今日を精一杯、生きること。