面倒くさいを越える。

毎朝することがどんどん増えていて、どんどん早起き?にならざるを得ない。そういえば、もう何十年も目ざまし時計なしで生きている。
毎朝6時に母へのメールは連続16か月目に突入、変換ミスだらけの返事に母親から「メール面倒くさいな~」という声が聞こえてきそうだ。続いて父との個別コミュニケーションも必要に迫られ、父にも毎日6時半に電話と決めたが、結局はまずはメール。返信がない場合電話をするという、二段階に分けて毎日交信している。
たとえば6時にメールし、7時まで返事がないと電話をする。すると「今、メールうっとるがや~」と集中力をそがれたことへの文句?らしき言葉が返ってくる。あ、元気で無事という証拠だ。緊急事態などがあればメールより電話をしてくるはずだ。メールがかえってくるのは平和の証拠、安全の確認か。
この小さな習慣、面倒くさいと思えば確かにそうであるが、これも続けることで親子の関係も変わるはずだ 残り少ない親子時間、離れているからの親子時間がもてると思えばそれなりの価値と安堵感もある。
世の中には一見、面倒くさい。と思うことが多いが、それから目を離さず、進んでかかわっていく。「面倒くさい」を越えると、いいこともある。
そう、面倒くさいこそから、先にやるといい。
そんなわけで、わが朝はどんどん短くなる。

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