若い日は運動神経も優れており、迅速に動くことができる。
もちろん、今もその延長線にいるつもりであるが。
ピアノ演奏も、指がよく動くと速さで勝負。なんていう
若きピアニストもいて、そんなに速く弾かないで
もう少し音色を和声を味わったらいいのに・・・ということもある。
技術優先の時代。もちろん練習を重ねることで、コロコロと
指が動く。このことはピアニストの必要要件。
毎日何時間も弾いていた頃はよく本当に指がよく動いた。
一方、十数年もピアノから離れ、30年以上クラシックから
離れていた身としては、以前動いていたはずの指が鍵盤の
上を滑り、泳いでいるような状況で本当に、悔しくはがゆい思い。
この瞬間は、さすがに自分の人生を少し後悔する。
自分が一度、離れた時間がこのような結果になっている。
この悔しさをばねにして、なんとか昔のように、指が動く
ようにしたい。
一方、速いテンポで弾けば、それなりに聴こえるので、ごまかしが
効く。それでは本当に弾いたということにならない。
指は空回り、鍵盤の上を滑っているだけ。いかんなあ。と
毎度反省。
そんななか、フジコヘミングさんのラ・カンパネラを改めて
聴く。
あ、そんなに速くなくていいんだ。ゆっくりやればいいのだ。
自分が聴いたフジコさんが奏でるそのリストの名曲は、ゆったり
したテンポ。ほんとうにヨーロッパの旧市街にある協会の鐘が
静かに鳴り続けているような情景から始まる。クライマックスは
もちろん激しくなっていくが・・。
そうか、もっともっとゆっくりやれば弾けるかも。
ということで、とにかくゆっくり譜面を凝視しながら、弾いてみる。
なぜ、そんなに♯がいっぱい付く嬰ト短調(Gis moll)にしなければ
ならなかったのか?おかげで余計に難しい。
これが単にAマイナーであれば、もっと簡単なのに。
でも、この半音違うだけで、黒鍵続きの音色が美しいのだな。
響きが深くなるのだな・・・。なるほど、でも、難しすぎる~。
といろんなことを思いながら、格闘しながら、ゆっくり譜面と向き合う。
ひとつひとつ音を確認しながら、鍵盤に指をあてていく。
すると、こういう和音なんだ、なるほど。こういうことか。
と弾きながらの発見や味わいも出てくる。
ゆっくり、味わう。
なんでもそうかもしれない。
音楽だけでなく、食もコミュニケーションも。
ゆっくり、しみじみと、深さも楽しむ。
フジコさんはこんなことも教えてくれた。
ゆっくり弾くと、心が現れる。
それが、年を重ねてからの演奏のあるべき姿かも。
そして、ゆっくり味わうことで、創り手(作曲者)リストの心も透けてくる。
そんなこんなで、速く弾けないおかげで、そして
フジコさんのおかげで、学びと楽しみが増えた。
写真はワイマールにあったリストの家のピアノたち。懐かしい。