シリアという国はなんと悲劇的なのか。ここは世界史においては、人類発展の祖ともなる舞台のひとつ、大文明をつくった場所ではないか。そこが今やおぞましい紛争地域になり、人々は国外へ命からがら抜け出している。外に出るのに、巨額なお金を払って、人生の挑戦に賭けるのである。自分の受け入れ先がない状況で自国を脱出する、というのはどんな覚悟なのだろう。移民は自分の意志で未知の世界に向かう人たちだ。命を追われるのと、夢を追うというほど、違いすぎる。
ユーロ各国がドイツにならって受け入れを進めているが、受け入れられた人たちはとりあえず危険のない場所で一時しのぎができるという安心感を得ただろう。しかし、そのあとは、まったくゼロからのスタート。新天地で生活を続ける、きちんとした生き方をするとなると、順応するだけでも大変だ。お金の問題、言葉の問題、宗教や習慣の違いの問題・・・。それを乗り越えてでも、たくましく生きようとする人たちのことをニュースで知ると、ああ自分は平和すぎると思う。難民になったつもりで生きようとすれば、いろんなことの見方が変わるだろう。
安全なところに住めているということ、とりあえず衣食住満ち足りているということ。自由であるということ。なんという贅沢なんだろう。
見方を変えると、日本では違う意味の難民が増えているのかもしれない。情報難民、コミュニケーション難民、社会性難民・・・。豊かすぎて自分は何をしたいかわからず漂流するという人・・・。どっちがいいか・・。もちろん今の日本での暮らしはありがたい。感謝して、ちゃんとすべきことをしよう。戦争がひとたび来れば・・・そんなものは弾き飛ぶ。そしてもし、国内であってはいけないことが起きれば、自分たちが難民になることも十分ある。緊張感をもって生きる必要がある。
もし、自分が難民になったら・・
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