自由と責任。

人生のなかで、一度はマイノリティな環境で自分を試したい。
という思いで、海外移住しかも、大陸の最果て・・に出かけようと準備
している仲間がいる。
夫婦での決断、長年の夢とのこと。
50歳までがむしゃらにビジネスの世界で努力し、一定のゴールまで
たどり着いた。そして、これから新たな出発だそうだ。

その人と自分のやっていることのスケールは全然くらべものにならないが、
共通しているのは、「自由」をもっとも重視している点。
自由でありたい、自由に生きたい。
ここが生きる上での大前提。
そうなれるために、がむしゃらに努力する。
ときには人の何倍も仕事をすることもあるが、それは自由に生きるため、
選択できる生き方をするため。

そして、自由に生きるということは、責任をとるということと同義である。
自由に生きる以上は、社会に対して、迷惑をかけないようにするということ。
自分の行動に責任を持ちながら、自由に生きる。
自由であることには厳しさも伴うが、
この生き方が一番自分らしくいられる。

「とにかく、自由に生きたい」
そう思うこと自体が叶わない社会もある。
そんななか、この戦後日本に生まれ、社会全体が成長発展を目指すなか、
育ってこられたことはラッキーであった。

自由の反対は不自由。
不自由なことがあると、それを取り去ることからはじめなければならず
大変だ。
戦争があれば、自由は奪われる。恐ろしい。

まずは、五体満足でいられること。
そして、好きな生き方ができること。好きな人達と生きることができること。
好きなものを食べること、着ること。
好きなところで暮らすこと。
好きな音楽を、スポーツを楽しみ、旅をする。
それができるのは、
仕事をするからであるが、その仕事も好きな仕事、自分が選んだ仕事・・。
と改めて思えば、いったい、どこまで自由なんだ~と贅沢な人生だと
思えてくる。

でも、これでいいと満足して終わらず、これからの人生ももっと自由に
好きなように生きていきたい。
なんといっても、まずは、自由な心でいること。
ここからすべてがはじまる。

自由に生きるとは、責任を持って生きるということ。
わがままというだけでは済まない。

自由を勝ち取る人生。
今、この世界には、小さな自由さえままならない人も多くいる。
そのことを忘れず、世界が自由で平和であることを願って、
今日という日を存分に生きたい。

改めて「自由」。この二文字をじっと見る。
自らに理由をもつこと。生きる意味。と、そんな意味も浮かんでくる。

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