毎年第二土曜は、わがふるさと岐阜の実家から、ほど近い神社で開催される
火祭りの開催日。コロナでしばらく中断されていたが、今年は開催。
私が生まれてから、ずっと春といえば、この「火祭り」であった。
手力の火祭り。実は300年以上の歴史があり、岐阜県重要無形民俗文化財に認定されている。
夏には長良川でも開催され、地元以外の方にも岐阜の観光資源として、それなりに知られているようだ。
私にとっては、とにかく地元のまつり。
昨日、所用があり、近くまで行ったため、参道を歩きながら、神社に入ってみる。
参道も今日立ち並ぶ屋台の準備がはじまって、まつりの前の静けさが漂う。
敷地内も今日の仕込みが行われている。
このメインステージ?の見事な人形などの飾り物には、実は花火が仕込んである。
祭りのクライマックスには、この人形からも花火が飛び出す予定だ。
また、長い木柱が何か所かに埋め込んであるが、ここには行灯が吊るされる。
行灯に火がともり、祭りの始まりが告げられる。また、長い木柱が何か所かに埋め込んであるが、ここには行灯が吊るされる。
この行灯が火祭りを空から見守る。行灯と花火。火祭りの主役は地元の人と
「火」の存在。
岐阜といえば、鵜飼いや岐阜城。だけでなく、隠された大変激しいこの祭りもある
のだ。改めてこの祭りの特徴は、銅鑼の激しい音、爆竹(火薬)、仕掛け花火。
と中国的な文化を感じる。そして長崎の精霊流しにも少し似ている。と個人的には
そう思っている。これは大人になって、各地に出向いてから気づいたことであるが。
火の中を自分たちがつくった花火仕掛けの神輿を担いで舞う。火の粉が散る中、みこしを担ぐという危険な祭り・・・。今日の夜は、そんな奇祭がここで開催される。
と、この風景を思い出すだけで、この神社に一歩足を踏み入れただけで、昨日は思わず
泣いてしまった。
若くて元気な父の半被姿が浮かんだからだ。
日頃、言葉数が少ない父は、お酒が入ると気が大きくなり、陽気になり、人が変わる。
地元で生まれ、生きた父にとっては、若いころから老いるまで、年に一度の最大のイベント
だった。祭りの何か月前から準備をして、今日に臨む。地域が一体になるお祭り。
本当にハレの日であった。
と、父の姿が神社の中に見えた気がしたのだ。
そう思っている。これは大人になって、各地に出向いてから気づいたことであるが。
火の中を自分たちがつくった花火仕掛けの神輿を担いで舞う。火の粉が散る中、みこしを担ぐという危険な祭り・・・。今日の夜は、そんな奇祭がここで開催される。
と、この風景を思い出すだけで、この神社に一歩足を踏み入れただけで、昨日は思わず
泣いてしまった。
若くて元気な父の半被姿が浮かんだからだ。
日頃、言葉数が少ない父は、お酒が入ると気が大きくなり、陽気になり、人が変わる。
地元で生まれ、生きた父にとっては、若いころから老いるまで、年に一度の最大のイベント
だった。祭りの何か月前から準備をして、今日に臨む。地域が一体になるお祭り。
本当にハレの日であった。
と、父の姿が神社の中に見えた気がしたのだ。
そして、そのはじけた父のやらかすことに、腹を立てながら、祭りだから・・と諦め
ていた母。はじける父と、黙る母。そう日常とは違う、父が輝く日。
この祭りはそんな思い出があふれる「まつり」なのだ。
今日は行けない。行くと号泣しそうなので、遠くで見守る。
その代わりできる支援をさせていただく。
そして、無事に安全に祭りが執り行われるようにと、先にお参り。
人気がない神社での参拝。チャリンと音がするのが恥ずかしく、音がしないお賽銭を
入れた。生まれて初めてかもしれない。
父の分と、母の分と一緒に。
この祭りがあることは、誇りである。
支え続けてきてくださる地域の皆さんに感謝したい。
想い出すだけで、泣けてくる。
「祭りやな」父の声が聞こえた気がした。
「帰ってくるんか」と、母の声も聞こえた気がした。
この祭りは、ぜひ他県からも訪ねてみていただきたい、
手力火祭り 岐阜市のコンベンション協会からの情報はこちら。
https://www.gifucvb.or.jp/event/detail_spring.php?eid=00004&calendar_keisai=1