両極を生きて、人間を見る、知る。

今、仕事ではDXや、AIという世界が身近なところにある。
もちろんそのど真ん中にいるわけではないが、周辺にいる感じ。
世の中がどんどん変わってくる、世代交代が進んでいることを実感する。
ビジネスは間違いなく、デジタルの世界が軸になっているし、さらに
加速する。
いずれも生産性を高めるために、企業はそちらの方向にシフトしていく。
この流れは止まらない。「生産」を継続、事業を維持し続けるには
避けることはできない道。

とその一方で、デジタルとは無関係な世界で生きている人たちも
少なくない。
ふるさとでは、高齢者の方に接する機会があるが、そこでは、
このDXやAIには一見無関係に見える世界がある。
もちろん何かしらのサービスを利用する際には裏側でこういった環境が
存在しているとは思うが、福祉や医療の現場はまだまだアナログである。

話しは変わるが、自分の新アルバムを購入いただいたお客様の例。
WEBサイトから、メールからご注文という方ばかりではない。
知り合いにファックスしてもらう。
それに対して、確認の電話を入れてみるが、うまく話せないため、
その方のお宅まで伺ってみることにする。
どうやら、一人暮らし~独居老人といわれる暮らしのようだ。
玄関からチャイムを鳴らす。出られない。
外から電話をかけてみる、出ない。
結局は、ファックスを代行していただいたお医者さんに預けること
にする。お金もそこで預かっていただき、受け取りに伺う。
高齢になると、振込という作業もすでに難しい。

と、商品を購入されるにも、購入すること自体が難しくなってくる。
誰かのアナログなサポートがないと暮らせない。
高齢化とはそういうことなのだ。
遠くへ行けなくなる。五体満足でなくなる。コミュニケーションが
とりづらくなる・・・。

これを別世界のように思いながら、日々パソコンで、タブレットで、
スマホで一見、スマートになんやらやっているが、
ふと手を止めると、アナログの世界を生きている人たちの存在が
頭をかすめる。

このように毎日、両極の世界を見ている。
ここは大切だ。
すべてDXでは解決できないのだ。
AIには頼れないことがあるのだ。
どんなことも可能にしそうなデジタルパワーを横目に
決して明るいとはいえない、高齢化の先を考える。

人間とは・・・。考えるためにも両極を見ることは
大変意味がある。

ちょっと切ないけれど。自分もいずれ向かう先。
他人事ではない。

取り残されない世界とは。
DXが進む一方、そんなことも考える現在。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク