4月は新潟で出会い、何年もおつきあいを重ね、そして地元でのコンサート
実現にもご尽力いただき、たくさんの思い出をいただいた方を
思い出す月でもある。雪国で生きた強い女性。わたしにとっては、雪国おんなの
代名詞のような存在でもある。
コロナ禍、闘病生活の末、静かに旅立たれた。
その何か月か前に、最後のメールをいただいた。
ほんとうに、もう会えないんだと思う、その人が力を振り絞って
送ってくださったメッセージであった。
その何年か前、お元気な頃。
食事をして長岡駅で別れるときに、実はがんが見つかったと打ち明けられ、
抱き合って励まし合った。
闘病しながら、回復すると再会しようと駅のカフェや駅近くのレストランで
お会いした。
ご自宅の方まで出向いたことも、何度もある。
終活ノートや限定でつくられた家族の本も進呈いただいた。
お母さまを送るのが最後のつとめ。とそれをしっかり実行され、
そのあと、ご自身も・・・。
公私を越えて、おつきあいいただいた。
今もその改札を通ると、そのときの場面がよみがえる。
お元気だったころは、地元のみなさんが尊敬するゴッドマザー、
時代を先取りしたキャリアウーマン(古い表現であるが)。地元の名士。
とにかく、カッコいい方だった。
私のことも、人一倍、応援してくださった。
尊敬するのはこちらなのに、講座を受講いただいたことが出会いの
きっかけだからというだけで、ずっと「先生」と呼び続けてくださったところに
これまた尊敬の念も沸いてくる。ちゃんとされているのだ。
昨日、その方が暮らし、仕事をされていた町に出張した。
ほんのわずかな空き時間、なんだかあの頃のことを思い出したくなって、
彼女と行き来した道をひとりで歩いた。信濃川を渡った。
道中、いろんなことが、思い起こされ、この町を知ったきっかけはこの方との
出会いであったと改めて、懐かしく強く思い出された。
信濃川は雪解け水で量も多く、雪国の春を感じた。
雪のおかげで、人々が豊かになれるんですよ。雪は吉なんですよ。
と笑顔で話してくれていた顔が浮かんでくる。
みちこさーん、みちこさーん。
心の中で呼びながら、懐かしい道を歩く。桜も満開。
会いたくても会えない。そんな人が増えてきている。
そんな人に会いたいときは、一緒に過ごした場所に行く。
雪国の春。新潟の空も鉛色から青空へ。春の証し。
前方に見える山々は?あとで仲間にたずねるとしよう。
小千谷。おかげさまで、あの方の想い出とともに、
今、新たなつながりが生まれようとしている。
これからもずっと見守ってくださることだろう。
雪解けを待つ、新潟の春。これから本番である。
雪国の春、懐かしき人を思う。
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク