ピアノで偲ぶ、母のいのち。

〇〇供養という言葉もあるが、なんとなく湿っぽくなる
ので、母に会う心の旅、空の演奏会とも言い換えようか。

明日26日は母の命日になるが、当日は出張も含め、バタバタ
するため、日曜ひとりでピアノに向かう。
そして、母との記憶をたどりながら、その時々にゆかりの曲を
奏でる。
ひとり鍵盤に向かいながら、母のさまざまなやりとりが思い浮かび、
涙があふれてきた。
心にふる雨のようだ。

ピアノをこうして弾けること自体が、母の人生、わたしに与えた
贈り物であったと思うと、ほんとうに、ほんとうにありがたい
ことだと思う。

ピアノがあるかぎり、声が出る限り、母のことを思い出す。
だから、続ける。それが一番の親孝行。

時間が経つとだんだん寂しくなるように感じるのも正直な
気持であるが、その寂しさや喪失感ともつきあいながら生きていく
のが、残りの人生なのだろう。
と、この3年でそんなことも学んだ。

母からのバトンを、どう私が次につなぐのか。
これは大きな宿題。
そんなことを思いながら、母が生きた最終ラウンドを
祈りを込めて、丁寧に生きたい。



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