人間は何で語るのだろうか?実は、ここ2~3日、ある瞬間の場面を思い出すとたまらない気持ちになる。
定期的に実家に帰り、家の仕事をあれこれと行う。自分がなぜこれをしなければならないのかと、深いためいきが続く日もある。
おかげさまで両親は元気だ。胃がんの母も、奇跡の復活。以前以上に、元気でやっている。父もしかり、元気に過ごしている。周囲のおかげだ。楽しい毎日をそれなりに過ごしているのだと思う。
その元気のおかげでこちらも相手が老人であることを忘れ、今だに全力で親に接してしまう。それは子供の頃、全力でぶつからなければ自分らしく生きられなかったから。だからいつしか、そういう術が身に付き、今も力を抜くことができないままだ。
父親とたまに喫茶店へ行く。これは岐阜人にとってのリラックスタイム、いい交流のひとときである。
父と面と向かって話す。最初は何もなかったが、ちょっとした会話がきっかけで、いつもどおり、また喧嘩が始まる。
するとガソリンに火を注いだように会話の勢いがあらぬ方向に飛び火する。
父は私が理屈を言うと、目をそらし、投げ台詞を言う。それが気に入らない私は、「ちょっと、前向いて話したらどうなの」と、ま、こんな風になる。すると、父は「何がや」と強がり、横向いていた顔を前に向け、私の目をちらっと見た。
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場面は変る。その2日後のことだ。がんばっている青年経営者と初めてのサシでの会食。彼の奮闘ぶりはもちろん知ってはいるが、深い話をしたのは初めてだ。彼のこれまでの仕事の経験、生い立ちを聞き、なぜこの人がこんなにがんばれているのか・・・が見えてきた。
若いとき、かなりのやんちゃだったそうだ。お父様が体を悪くされ、ずっと入院。そしてお母様も・・・。それでも遊んでいたそうだ。
そしてお母様が亡くなる前に、「もうすぐ私は死ぬんだから人の話を聞いてほしい」と言われたにも関わらず、その話にも耳を傾けず、その夜飲みに出かけ・・・・そして、翌日お母様が亡くなったそうだ。そのことが、彼のトラウマになったという。そのことが彼を仕事に向かわせているのだと思った。家族への責任もきちんと果たし、ビジネスもしっかりがんばっておられる。
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その話を聞いたあと、なぜか私の中に、先日見た父親の目がくっきりと、しかも何度も浮かんだ。
父の目は憎たらしい言葉とは相反して、かなしげな、申し訳なさそうな、憎めない、純粋な目で私を見つめていた。
最近、父は私のことを「おまえは怖い」という。だから、ああいう目なのだろうか。
先に書いた青年経営者の話と、自分のことが重なって、どんなことでもいいから、悔いのないようにしなければ・・・と改めて強く思う。
なぜか、父の目を思い出すと、最近のことだけでなく幼き頃を思い出し、涙があふれる。
人間はだんだん弱くなっていくんだから、全力でぶつかりなさんな。
反省とも悲しみとも感謝ともわからない思いが、涙になって降る。
目は口ほどにモノを言う。本当だと思う。だから見なければいけない。だからこそ、そらすこともあるが。