両親のことは、毎日頭にある。忘れる日はない。
生きていたときもそうであったように、今も変わらない。
もちろん今となっては話しかける相手は、写真であり、空であり、
自分の内面に対してである。悲しみが消えることはないが
それとうまくつきあいながら、心のなかで生き続ける親の
存在を見続けるようにしている。
命日という日は、誕生日と同じく重要な記念日。
仏教の世界では、二年たったら三回忌だそうで、それは昨年
終えたし、ひととおり親の希望どおりにすることはしてきた。
もうそこから自由に!と思っていた。
すでに今年のこの日は出張も入った。普通に生活しようと思って
いるので、それでよし。
でも、何かしたい、しなければ、してあげたい・・・。
と考えていたら、名案が浮かんだ。
そうだ!昨年は、命日に母の写真入り出前コンサートのチラシを
新聞折り込み。限られたエリアではあるが、母の存在を地元の人に
思い出していただくきっかけにしたい・・・と。
今年は新しいアルバムができた。しかもふるさとをテーマにした
タイトルであり、それに関連する曲も挿入している。
ということで、今年の命日は、このチラシを4000部折り込んで
見ることにする。
早速地元の新聞販売店に連絡する。
地元ならではの会話になる。「今年も母の命日に、チラシ入れようと
思います。」の言葉に販売店のオーナーさんも反応される。
そして見本にもっていったチラシをじっくりご覧になる。
親も新聞をとっていたから、新聞屋さんも親のことをご存じなのだ。
ま、親の命日にチラシを折り込むというアイデアはおかしい?とは
思うが、それでもそれが私なりの供養であり、きっと母は喜ぶと
確信している。
ネタがあるから、折り込みもできる。
と、今年の記念日はそのようにしてみよう。
できるときに、できることを。
今それ向けにチラシを少しリメイク中。
地元の人向けにしなければ!である。
ちょっと新しいアイデアが湧いてくると、なんだかわくわくしてくる。
とことん自分流でやる。それを貫く。
「それでいいやんね~。」母に話しかける。
「なんでもいいわ」と、笑っている気がする。