永遠のわがチェルシー。

チェルシーというと、ニューヨークの通りの名前も思い出すが、
それより前より御馴染みなのは、
「あなたにも、チェルシーあげたい」
という名セリフと金髪の少女(だったはず)のコマーシャル。
昭和40年~50年代。憧れのお菓子が続々登場した時代。
その当時新しい商品は、なぜか金髪の少女のイメージ。
お菓子といえば、憧れの西洋文化であった。
そういえば、ヤマザキパンのトラックにプリントされた
かわいらしい金髪の少女。こちらは今なお、見かけることが
あるが、とてもシンボリック。
(あのトラックを今も見ると、あの少女はもうどんなおばあちゃん?
まだ存命なのだろうかと勝手な想像をめぐらしてしまうが・・・)

と同じように、チェルシーもあのコマーシャルの音声と
少女の残像とバタースコッチという当時珍しいキャンディ。
それまで日本になかった舶来品的なイメージ。
しかも味はバター、ヨーグルト、コーヒー。この3種。
おしゃれなパッケージで、人々を魅了した。
もっているだけで幸せな気持ちになれ、そこから一粒取り出し
口に運ぶあの瞬間は、ちょっとした贅沢な時間であった。
持って歩くのが、バッグに忍ばせているのが、とてもおしゃれ。
お菓子はファッションアイテムにもなった。

大人になってからも、ちょいちょい持ち運び、移動中に
チェルシー気分でセルフヒーリング。
つい最近まで、そうしていた。
ドラッグストア用にアソート袋が販売されるようになって
箱入りではなく、個包装もキャラメル包みではなく、ちょっと
味気なくなったけれども、チェルシーはチェルシーだ。
3種のスコッチを楽しんでいた。個人的にはヨーグルト味が
一番好きであるが、味のバリエーションを楽しめたのが良かった。
そして、いつしかドラッグストアだけでなく、100円ショップ用の
少量バージョンもみかけ、箱入りのチェルシーはあまり見かけなくなり、
販売チャネルごとにパッケージを変えるのは大変だなと思っていた・・・。

そのチェルシーが3月末で終売というニュースが一斉に流れた。
驚いたのはニュースの多さ。こんな大きく、いっぱい取り上げ
られるのだ。それぐらい国民に愛されたお菓子なのだ・・。
常備するようにしていたが、少ししか在庫をもっていなかったため、
どうしたらよいか考えた。
ネット検索は予想通り恐ろしく、値段が信じられないほど吊り上がった。

なくなるとなると、こういうことになるのだ。
それでも、なんとかチェルシーをもう少し楽しみたい。
ということで、なんとかわが秘密?のルートを探り、今しばらくの
在庫は確保できた。
ああ、名古屋に住んでいてよかったと思えた瞬間でもあった。

あるお店で聴くと、「チェルシーありませんか?ていう電話が
たくさんかかってきて、内はもともと扱ってないので・・・。
なくなると聞くと買って高く転売する人がいるんですよね」
正直、こういうのはあまり感心できないが、ネットはこのような
手口も広げている。

懐かしきもの。
子どものころからあるものは、ずっとあるもの。
と思いがちであるけれど、そうではない。
ある日なくなることもある。


商品とは、商売とは
つくる人がいて、売る人がいて、買う人がいて・・・。
どれかが欠けても 成立しない。
また時代の変化にあわせて対応していかねばならない企業
にとって、伝統を守り続けることは難しいときもある。
むしろ、これまで半世紀ありがとう!と思うべきだ。
いつまでもあると思うな わがチェルシー。

あなたにも〇〇あげたい。
このフレーズ、とてもいい。

昭和に生まれた大好きなものたちが、消えていくのを
観るのは寂しい限り。せめて、感謝でおくるとしよう。

チェルシーのような存在は、もしかしたら親と同じかもしれない。
親もずっといると思っていたから・・・。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク