会いに行きたいカメラマン

今どきは、スマホで誰でも簡単にそれなりの写真撮影ができてしまう。
プロとアマチュアの差が、素人の方には一見わかりづらいということもあり、
プロのカメラマンにとっては、なかなか生きづらい時代でもある。
ほんとうは、素人が撮るのとプロが撮るのとは、雲泥の差があるのだけれど
スマホの進化、影響力はなかなか大きい。
と言いつつ、私自身は、カメラマンを生業としている仲間も何名かいることも
あり、職業としてのカメラマンには敬意を表しているし、応援もしている。

そんななか、その方の撮影の腕(技術)だけでなく、写真への向かい方というか、
撮影を通じた社会貢献というか、その取り組み自体が素晴らしい!
そんなカメラマンの存在を知り、大いに刺激を受けた。
石津武史さんとおっしゃる。もう80歳を越えておられるようだ。
少しその活動を調べてみるとアマチュア写真家と記載されてはいるが、
これこそ、プロフェッショナル!と思うカメラマンである。

その方のことはドキュメンタリー番組で知った。
大阪で活動されている方である。人や街を撮り続けておられるようだ。
今回感動したのは、
大阪で日雇い労働者の方たちや、生活保護を受けて暮らす、家族や
身寄りのいない男性たちのポートレイトを無料で撮影され続けているという
取組みだ。

年に2回、その地区(釜ヶ崎)の広場に仮設の写真館を開設され、
これまで写された写真をずらり展示され、そして撮影ブースも併設し、
撮ってほしい人は無料で撮影してもらえる。
何かの手続きに必要な証明写真用であっても、目的はなんでも
良い。とにかくプロのカメラマンが自分を素敵に撮ってくれるのだ。

ある男性は毎年、撮ってもらいに来ている。
これが遺影になるかもしれないと、そんな気持ちで、生きた証しにと
撮影してもらう方もある。
とにかくその写真に浮かび上がる表情が最高なのだ。
どんな仕事をしていても、していなくてもひとりの人間が生きている
という証しをうまく表現されている。
その一人一人の「素顔」をうまくとらえた写真なのだ。

そしてその広場では年に一度、1年の間に亡くなってしまった方たちの
慰霊祭も行われるとのことで、そこで撮影された写真が飾られることもある。
同じ地域に住む、素性も知らない仲間たちが手を合わせる。

家族も仕事もなく、ひとり老後を過ごす人たちが、
「写真は思い出やからな。」
と語る。
そして、その人たちには今は分かれ分かれになってしまった
家族たちの写真がある。大切にもっている。
写真は世間とつながるツール、思い出す貴重なツール。
写真は、ずっと幸せな時間を思い出せる道具なのである。

カメラマンに撮ってもらった写真は、自分が生きた証しになる。
「もし、わしが死んでも、この写真があったら、生きたということ
は残るから。写真はいいな」

このカメラマンのライフワークについて、
本当に素晴らしく、心から尊敬する。
撮影で人が幸せになれる、生きた証しとなる。
そんな写真を提供できるなんて、素晴らしい仕事だ。

売れているとか、売れていないとか、そういう問題ではない。
自分ができることを通じて、人の役に立つ。
ここが大切だ。
一度、ぜひ会いに行きたい。この仮説写真館もぜひ一度
出かけてみたい。

自分は何ができるんだろう?
そんなことを考えるきっかけをいただいた。
今朝もずっとそんなことを考え続けている。
好きなこと、できることで、誰かを幸せにできるのであれば
ほんとうに幸せだ。

カメラマン。
人生の証しを遺す仕事。
真の意味で、プロにしかできない仕事。いや神業かもしれない。



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