母の代わりにと思っている実家の近所のおばちゃん。
母の親友であった。商売をなさっているので、今も看板娘として
毎日お店に出ておられる。
母亡きあとは、このおばちゃんによく会いに生き、母にしたように
どこかの出張土産だとか、つくったものだとか、いただきものを
持っていく。
月に2~3度はお店に寄っているかもしれない。
おばちゃんは、80代であるが、本当にしっかりもので、今も家と
お店の往復には車を運転され、お店での接客も昔どおりである。
岐阜新聞でのコンサートも、欠かさず、毎回お友達と来てくださって、
本当に母代わりのようによくしていただいている。
昨年、秋の岐阜でのコンサートにもおいでいただき、
「みなさん、喜んでみえたよ。よかったわ~」
親がいなくても、お客様が大勢きてくださったことに
一緒に喜んでいただき、
「次はCD楽しみに待ってるね」
と応援してくださる。
遂に4枚目のアルバムができたので、まずはおばちゃんにと
持っていった。行く前に電話をする。
「昌子です。CDやっとできたし、これから持っていきます」
おばちゃんは、待っていてくれた。
「これ、どうぞ。」
ほんとうは、親の代わりなので、そのまま渡して帰るつもりだったのに
おばちゃんは、財布からお金を出して、
「えっと、いくらやったっけ?」
支払いの準備をされる。
「いいて、いつもいろいろもらっているし、お母さんの代わりやで」
とお金はいらないといったら、
「あかん、あかん。これだけはあかん」
とおばちゃんは、くしゃくしゃになったお札と、小銭を私に握らせて
くれた。
これ以上言うと、かえって悪いかなと思い、
お礼を言って、そのまま握ったまま失礼した。
帰り道、お金をしまいながら、おばちゃんの気持ちを思ったら
涙が出てきた。お店で稼いだ大切なお金、おばちゃんのお小遣いか・・・。
なんだかありがたく、もったいなく・・・。
ほんとうに、母のように、CDの完成を待っていてくれたのだ。
このように応援してくださる方たちがいてくださって、
今の自分がいるのだと、思うと、ほんとうにしっかりやらなくちゃと
思った次第。
「この表紙に、ほれ岐阜城が写ってるやろ。それで鵜飼の漁火の灯りと、
きんきらの信長をイメージして作ったんやよ。岐阜らしいやろ?」
「ほー、いろいろ考えてやるなさるんやね」
今朝もこんな会話が頭の中で蘇る。
しっかり、親孝行をしなくてはと改めて、強く思っている。
人の気持ちを大切に、感謝を忘れずに今日も生きたい。
早速、ご注文いただいた皆さま、本当にありがとうございます!