今年初めて、いつも伺っている地元のデイサービスにお邪魔する。
母と親交のあった方たちがご利用されており、その時もそこに
滞在され、皆さん昼食後のくつろぎ時間を過ごされていた。
お年寄りのための喫茶店のような、そのデイサービス。
皆さん10年前、20年前と比べると会話は少ないが、それでも
定位置の椅子に座って、1日時間を穏やかに過ごしておられる。
そんな静かな時間には、不意の来客・珍客も歓迎というところか。
ちょっと出来上がったカレンダーを届けに来ただけであったが、
せっかくなのでと、皆さんのくつろぎスペースにお邪魔する。
みなさん、はっと我にかえって笑顔で挨拶をしてくださる。
とにかく日常の中のちょっとしたハレの時間は楽しいものだ。
「今日はコンサート?違うの?今度やってもらえるの?」一応、
私が演奏をしに来ている人という認識はあるようで、せっかく伺ったので
次のコンサート日も決める。
「あ、そうだ。2月14日はバレンタインだし、この日にやりましょう!」
と即決。そんなイベントが1か月後にあるのはうれしいものだ。
と、室内が盛り上がり、皆さんもそれぞれおしゃべりされる。
なかでも、母がお世話になっていたある方は、「お母さんに本当に
よく似てみえるね。お母さん、いい人やった。お母さんいつもお墓に
お参りに行かれて、いつもうちに寄ってくれて・・・」
と私の顔を見て母の話をされる。この話はもう何十回もお聞きしている話である。
でも、「前もいっておられましたね。」とかは言わない。
「ああ、そうですか。いつも思い出していただいてありがとうございます」
と、こちらも何十回も同じことを、新たな気持ちでお伝えする。
その方にとっては、私の顔=母のお墓参りと母のおしゃべり・・とつながって
おり、私を見ることで、母との思い出が毎回蘇るのだろう。
もう聞いたことだから・・ではなく、何回も思い出していただき、一緒に母の
ことを思い出せることに感謝する。
そう、同じ言葉はかえってうれしい。
と、そんな風に思えるようになってきたのでは、繰り返し施設にお邪魔して
いるせいかもしれない。
それぞれの時計、ときには止まった時計。
人生の時計は新しい時を刻むだけの存在ではなく、ときに前に戻ることも
ある。そして、楽しかった思い出であれば、何度も思い出せた方が良い。
同じ言葉を歓迎する。
その言葉で、母の存在がよみがえる。
「ああ、また思い出してもらって、幸せだね」と心の母に語り掛ける。
私もいつかそんな日がくるとしたら、
どこまで時計を戻して、どんな言葉を発し続けるのだろうか。
できたら、今はずっと自分で時計を回し続けたい。止まらないように、戻らないように。
さあ、今年のバレンタインはなんだか忙しくなりそう・・。
同じ言葉、大歓迎。
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