相互理解と協調。共感、共生。

パレスチナとイスラエル、ウクライナとロシア。
この戦いの根底にあるものは、歴史からくる憎悪であったり
民族愛であったり・・・その立場にならないとわからないことも
多いが、それでも罪なき人たちが多くの被害に遭っていることを
思うと泣けてくる。

歴史が生んだ人災。
これに対して、遠くの日本から何かしたいと思ってもできることは
ほとんどない。
それでも、多くの人が平和を望むエールを送ることは意味があると
信じている。
平和な社会をみんな、求めているんだよ。ということを世界が
関心を寄せ、声をあげることは意味があると信じたい。

今、ここに限らずさまざまな分断、戦いが起きているのは
相互理解の欠如が原因のひとつではないかと思う。
お互いのことをもっと知ろうとすれば、理解しようとすれば
相手にもその思いは通じるはず。
お互いに知ろう、理解しようとする姿勢。
国も個人も同じことだろう。

世界はひとつ。このことを根底にもっていれば、さまざまな
壁は必要なくなるはず。
しかし人間はその時代時代で、自分たちが生き延びるために
相手を傷つけたり、自分たちにとって都合が良い道を選び、
その道を貫くために他者を排除したり、傷つけてきた。
みんな、自らが生きていくためにやむを得なかったこと。
という気持ちは理解できる。
でも、だからといって人を傷つけるのは人としてどうか?

と、そんなことを伝えたい。
人間同士が戦うこと。これは、一体、何の意味がある?
そんなことしている間にも、地球自体が滅びようとしているのに。

元旦の地震は、人間の力ではどうしようもできない自然の脅威に
ついて、学ぶきっかけになってしまった。
いざという時に、お互い助け合わないといけない。
日頃から仲良くなっていないと、生きていけない。

人間は、一人では生きられない。
みんなで助け合って、協力しあって、一緒に生きていかねばならない。
日々拡大する被害の報道に接しながら、
いろんなことを考える。

助け合わないと人は生きられない。
今自分ができることを、小さくてもいいので、やっていこう。
人間はみな、同じ。

年の初めから、地球で今起きていることを改めて俯瞰しながら
何が一番大切なのか、そのために自分ができることは何か。
について、しっかり考え、実践したい。

目を覆いたくなる事態。
すべて明日は我が身と思いながら、今日の朝に感謝したい。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク