親孝行も平等に

この1年と3か月、毎朝6時に母親へメールを送り続け、体調を確認しながら、元気に生きる!エールを交換してきた。意味不明の変換ミスが多い返信でも、一生懸命返そうとしているのが、ほほえましく、安堵もする。
それは、彼女が1年前に胃がんになったことがきっかけであった。病気に負けないで強く生きてほしいというつもりでの、遠隔地に住む娘からの勝手な働きかけであった。あくまでも、病気がきっかけであり、何もなかったらこんなことはしていなかっただろう。
一方、この間、少しづつ気になってきたこと・・。父親との対話だ。
両親とは昔からコミュニケーションがむつかしかった。対話にならない、すぐけんかになった。それが嫌ということもあり、18歳のとき家を出たという一面もある。
しかし、父と今いろいろうまくコミュニケーションしなければならない。しかし、どうしても母親に比べると、必要な用事があったときだけになってしまう。電話をするとやっぱりけんか腰になってしまう・・。何かあったら先に連絡して!このことを何百回いってもそのようにならない。と、行動を変えてくれない父に対して、いらいらする自分がいた。
しかし、よく考えたら、相手が変わらないならば、自分から変わればいいのではないか?
自分からコミュニケーションできない人ならば、こちらかからすればいいじゃないか。母親には毎朝メールしているのに、父には用事があるとき、しかもいい話ではないときばかりの連絡だ。あ、これでは父は変わらない。それ以上に、不公平な親コミュニケーションをしているような気がしてきた。
ということで、これから毎朝父に電話しようと決めた。6時に母にメール、7時までに父に電話。さあ、またひとつ毎日の仕事が増えた。
でも、そういうことが大切だ。あと何十年もできないことだ、やればいい。できるじゃないか。
「お父さんは、自分から電話くれないので、これから私が毎朝電話するわ」と言ったら、父は黙っていた。
そしてその翌朝、6時半父から珍しくメールがきた。「おはよー。何もとくに問題ありません」・・・・父が少し変わった?
それはそれとして、父という存在はもしかしたら、とても寂しい存在かもしれない。と思い直した。私が知りうる父の人生を振り返ると、もっとしてあげることができるのではと思えてきた。両方いて親である。両方いてくれたから今日の自分があるのである。またまた忙しくなるが、自分が行動を変えることで親子のコミュニケーションもよりよくなれば・・。ま、喧嘩できているうちが幸せであるが。
いずれ、別れの日がくるだろう。その日まで後悔することがないように、気づいたことは改善し、行動し続けたい。

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