顔が見えるから、おいしい。

出先で食事をする時間がとれず、無理をいってテイクアウトに
してもらう。本当はメニューにないが、特別に「お弁当」に
してもらう。予算いくらで、あとは任せるので!とお願いしたら
スタッフとシェフが相談して、つくっておいてくれた。
それを受け取り、新幹線の中では開けづらいのと、においも
気になるので、我慢して宿泊先まで持ち運ぶ。
そして、やっとそのお弁当を開ける。シェフがせっせと詰めて
くれたメニュー外の一品。
一菜、一菜その色、形を楽しみながら賞味する。
「お口に合えば…」と言って渡してくれたときの顔、スタッフの
笑顔などが浮かび、まるでレストランで食べているような気持ちに
なる。
そして、最後の玄米粒まで残さず、いただく。
今日初めてのちゃんとした食事。時間は21時を過ぎている。
何とも言えない、幸せな気持ちになった。

世の中には多くのごちそうがあるけれど、お金を出せば
おいしいものは食べられる。
でも、ほんとうにおいしいものは、つくる人やもてなす人の
顔が見えるものだ。

だからかどうかわからないが、家ではあまり外食を好まれない。
家で食べるのが一番おいしいらしい。
顔が見えるから、だろう。
とはいえ、プロが作る方がそりゃおいしい。

とにかく顔が見えること。これが一番。
世の繁盛店も、結局はそこは共通していると思う、
心を込めた手作り。
心を込めたおもてなし。
これが、おいしいものの絶対条件だ。

そこに安心安全な食材は、もちろん欠かせない。

今も昨日のシェフやスタッフの顔が浮かぶ。
おいしいものを食べた翌朝は、とても気持ちいい。

「食」は、人を良くする。まちがいなし。
コロナも落ち着き、満席が続くこの年末。
活気が戻って、ほんとうによかった。

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