人身事故のない国に

いやー、たまらない。ここんところ、電車の人身事故に間接的ではあるが、巻き込まれ、とても迷惑している。
出張先から帰ると電車が止まっている。(最近は便利で、メールサービスで先にわかるのはちょっと便利ではあるが)
荷物も多いので、超混雑のほかの電車に乗る気力も体力もなく、やむなくタクシー。余計な出費だ。
さらに、今回の出張。通勤時間の出発であったためこれも良くなかったが、出かける1時間前に人身事故との知らせ。
まさか・・。でも本数が減っているだけで動いてはいるようだ。ということで駅まで行く。本数が減ったせいで、来る電車には
すし詰め状態に人が乗っている。うわ~荷物持って乗れないな。と言っている場合でなく、混んでいる電車の中、なんとか体をねじ込んでバックも人様の迷惑にならないよう抱えるようにして乗る。呼吸困難になりそうだ。この混雑がいやで脱サラしたようなものなのに。でも、なんとか大手町まで行ってくれ~。この異常に混雑した電車は事故後でもあるためドアの開閉も慎重、ゆっくり出発し、のろのろと動く。ああ、このままうまく行くか・・・新幹線間に合うか・・。早く出たつもりでも、ちょっとピンチな感じだ。竹橋でいよいよ地下鉄は止まった。ああ、だめだ。私は電車を降り、荷物をかついで階段から地上に出てタクシーを探したが、大勢の人が同じ状況であり、また雨の通勤時間で車はない。仕方ない。雨のなか、ガラガラと荷物を引っ張って東京駅まで歩く。予約をとっていた新幹線には間に合わない。ああ、どうしよう、切符は?どうしようか。考えながら、今日はセミナーなので絶対に遅れることはできない、またこんな状態で人前で話す、落ち着け落ち着け・・・いろんな自己問答をしながら、汗と雨でぬれたまま東京駅へたどりつく。乗るはずだった新幹線はもうすでに出発しており、切符は無効になり、それでも駅で交渉して、自由席で次の電車に乗ることができた。
くたくたになり 電車になだれ込んだ。誰に向けたらいいかわからない怒りと、なんとか間に合うことがわかった安堵でしばらくぼーっとする。
(もっともその乗った新幹線でまた何かあればわからないが、そのときはまあ、そんなに同時にそんなことも続かないと勝手に信じている)
新潟に無事着き、予定どおりセミナーを行うことができ、今日の話題ということで、そんな体験もネタにもした。

人身事故に慣れっこになっているのが怖い今日。
「またか~」そのたびに、いろんな声がネット上で拡散するのも、不思議な感覚だ。
ホームから落ちてしまう事故なのか、自分で飛び込むのか知らないが、どっちにしてもやめてほしい。
まったく関係ない人たちが、多大な迷惑をこうむる。
テロも、それも 社会に迷惑をかけるというという点では同じだ。

先日ある人と食事をしているときに、ぽろっと言ったことばが忘れられない。
「生きていたらいいんですよ。どんなことがあっても生きていたら。一番許せないのは、自殺する奴です。それだけは許せない。まわりにどれだけ迷惑をかけるか、残されたものがどんなに大変か・・・」その方には何か最近あったのかこしれないが、本当にそうだと
思った。死にたかったら、誰にも迷惑をかけない場所でそっとやってほしい。

人身事故という言葉に、人々がある意味ショックを受けなくなり、日常の一コマ~電車の故障と同じように 受けとめつつある社会が
おかしい。
私にとっては、安保とか、オリンピックよりも、今こういう現実がある社会を救う、問題を根本からなくす方が優先すべき課題ではないかと思う。一度、政治家のみなさん、この満員電車に乗ってみなはれ。
と話が飛んだが、人が多すぎる東京、ちょっと考えなければならない。
次回からは、もっと早く移動しなければ・・・。これでも十分早め早めに移動しているのだが・・。
人身事故、なくなる世の中。もう、東京のような都会では無理なのか?これ、何かおかしくないか?

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