123.と覚えやすい数字のせいか、わが誕生日を覚えて
いてくださる方がいて、メッセージを寄せてくださる。
当日も、その前後も・・。あ、そういえばと思い出して
くださるのかと思うと、ありがたいの一言に尽きる。
メッセージ以外にも、お花や癒しの道具、美味しいもの・・・。
いろんな気遣いが届けられ、覚えていていただけ、気に留めて
いただけることに胸がいっぱいになる。
当日の0時2分に届いたメッセージは、まさに一番のり。そこから
5日の1時すぎ。現地時間では4日のお昼か。
ボストンからメッセージが届き、驚く。
数年以上逢っていない知人からの祝福メッセージだ。
どこかに控えてあったのだろうか?その人の中にバースデー
カレンダーが存在しているのだろうか?
(以前、NYの文具屋で、知り合いのバースデーを記載する
カレンダーなるものをみつけたことを、思い出した)
とにかく123になると、思い出していただき、あたたかい
メッセージをいただくことが、何よりの贈り物だ。
存在を覚えていていただけること。記憶されていること。
認めてもらっていること。そして、応援していただけること。
この123はまさに、私にとって一生のラッキーナンバーだ。
123は、動きを止めない、そしてアウフヘーベンな建設的かつ
発展的で、楽しい数字だととらえている。
ザビエルが空に帰った日が、私が世に誕生した日。
なんとまあ、ロマンチックな123だろう。
と、日々のくらしのなか、しばらく123の余韻にひたる。
メッセージを寄せていただいた一人一rに感謝を込めて。
ラッキーナンバーの幸せ。
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