ある小冊子を見ていた。それはキリスト教のわかりやすい
情報誌のようなもの。いろんな世界や考えに触れることは
勉強になるので、時間があればこの類の書も楽しく拝読する。
中には、心に染み入ったり、刻み込まれる言葉も多くあり、
自分はまだまだだと、向学心をかきたてられる。
そんななか、ある神父さんのエッセイにこんなくだりがあった。
「自分から変えようしない人は、『難しい』とか『仕方ない』
という言葉を発する。・・・」
確かにそう、そのとおり。そして自分の言動を振り返る。
前向きでいるつもりであるが、「これは難しいね~」とか
「仕方ないね~」と自分がそう思っているというよりも、
相手との会話上、コミュニケーションツールとしてその言葉を
使っていることがある。お!これは危険。
仕方ない・・「仕方」とは方法のこと。
本当に方法がないのか?いや、考えたら、もっと考えたら違う方法も
あるはず。
さらに、一見難しいことに見えても、それもやりようによっては必ず
乗り越えられる。
結局は、自分次第で「仕方ない」は、「仕方ある」に変わり、「難しい」は
とどまらず、「難しかった」けどできた!の達成感に変わる。
言葉は無意識に使うことで、慣れてしまい、もしかしたら自らの意識や
行動にも悪しき影響を与えているかもしれない。
今一度、「仕方ない」「難しい」を安易に使わないように。
いや、わが辞書からはこの言葉は消すことにしよう。
巷でよく聞く言葉に慣れないこと。
言葉は人の意思や行動に大きな影響を与えるから。
すべてやりようはある。不可能はない。
そう思って生きる方が、楽しいし、生きごたえがある。