「のんべえ毎日」こんな広報誌が届いた。(写真下)
通算325号とあるから、月刊発行としても何十年も続けておられる
ことになる。
柏崎の青海川駅上にある、絶景の酒屋さんの発行によるものである。
中越沖地震で被災し、お店を再建、まさに崖っぷちからのスタート。
そんなときに、広報相談会に来ていただいたのが出会い。
最初から忘れられない母娘であった。
もう十数年のつきあいになる・・と思うと、しみじみする。
その相談会で、どうしたら知名度を上げられるか・・について、あれこれ
話をし、その後、マスコミにも何度も取り上げられるようになった。
元気に地道にがんばる母と娘が営む酒屋さんで、いつのまにかとても
打ち解けて親しくしていただいた。
「コンサルタントで、こんな人、いるんですか?先生みたいな人が」
と言ってくださったのも印象的であった。
この広報誌の相談もいただいた。で、ネーミングどうする?という話になって、
その頃、ちょうど定年後の元ビジネスマンVIPに会ったとき
「わたしなんか、もうサンデー毎日ですわ」と聞いた会話を思い出し、
「そうだ、『のんべえ毎日』というのはどうですかね?」と提案したら、
大爆笑になり、「それ、いいですね。いただいていいですか?」と言われ、即採用。
そんなことがあったな。と届いたこの広報誌を見ながらしみじみ・・・。
実は、この会報を自ら編集制作されていた名物女将さんは、昨年他界された。
コロナ禍での病との格闘であった。その半年前には、
自分の両親のことを心配いただき、本当に応援いただいた・・・
なのに、ご本人が・・・。
大好きな母娘が経営する酒店。小売店の生きる道は厳しいと嘆いておられる
ことも多かったが、それでも前向きに楽しい企画を続けて、地元、県外含め
多くのお客様に喜ばれるお店であった。
観桜会はいつのまにか、恒例イベントとなった。
女将さんがいなくなったそのお店・・・。悲しみを乗り越えて、女将さんの愛娘が
今、店長としてがんばっている。
この会報は彼女がつくったものだ。
きちんと受け継がれていることに胸が熱くなった。
「母が作るのはA3でしたが、私はA4でやっとです。」
いやいや、ボリュームよりも続けておられることに感激した。
お母さまはとても喜んでおられることだろう。
来週は、久しぶりにこの店をたずね、女将さんとの思い出をたどり、
新店長の話も聞きたいと思っている。
「のんべえ毎日」。このロゴも女将さんの作品だ。
ずっとこれからも続けてほしい。
それにしても、いい名前。このお店だから似合う。
女将さんの分までがんばってほしい。この広報誌500号目指して
がんばってほしい。
と勝手に応援している。
日本海が眼前に広がる、素敵なあのお店。
訪ねれば、思い出があふれることだろう。
おひさまもような、女将さん。
崖っぷちの人生でした?いえいえ、お見事でした。
即興命名、永遠の応援。
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